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人間の言葉は、関西弁しか知らない。 ~三毛猫メグ、             保護猫シェルターでの6年間〜

#うちの保護いぬ保護ねこ

お天気雨のような夕立ちがサァァァァっと降った、ある暑い夏の夕刻、メグは天国へと旅立った。

保護シェルターで19歳という長寿のバースデイをお祝いしてから14日目のことだった。

「静かに旅立ちましたよ。」

保護猫シェルターのネコママさんの声が電話の向こうから優しく響く。「仕事が終わったらすぐ行きます」と伝えたけれど、次第に私はどうしようもない寂しさが身体を包み込んでいくような感覚を覚え、オフィスのトイレに、しばらく隠れた。

最初は気難しくて、なかなか身体にも触らせなかった、三毛猫、メグ。

メグは、私の母の愛猫だった。

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「お祖母ちゃんの命日とこの子のお誕生日、一緒やねん!」

その前年に亡くなった母方の祖母の命日と同じ7月28日生まれ という理由だけで、母は知人宅から突然子猫を譲り受けてきた。

母は、そのちいさな女の子の三毛猫に「メグ」と名付けた。

当時、私の両親はまだ健在だったが、どちらかというと強烈なほど犬派の父は、最初は猛反対していたくせに、元来の動物好き性分が発揮され、しばらくすると

「メグやぁ・・メグちゃん❤❤」

と、まさしく猫なで声をだして、メロメロにあやすように変貌していった。

年老いていく両親にとっては、大事な娘がひとり増えたような感覚だったに違いなかった。

しかしながら、成長するにつれメグはとてもとても気難しい猫に成長した。どんなに気難しいかというのがよくわかる事件が、ある冬の日に起きた。

その冬の日はとても寒い日で、実家に立ち寄った私は、キッチンに居る母に、「寒いからお茶淹れて―」と甘えると、一目散にコタツに足を突っ込んだ。。

・・と、その瞬間、足首のあたりに閃光のような痛みが走った!

「痛っっっ!!!」

コタツの中にいつの間にか居たメグの、強烈なネコパンチを真向から受けてしまったのだ。

キッチンから

「コタツにいきなり入ったらあかんよ。そこメグの場所やから。。」

のんびりとした声で母が言う。。

「それ、はよ、言うてぇぇぇやぁぁ」(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)

そう言いながら足を引っ込めようとした途端、私のニットの靴下にメグの爪が引っ掛かり取れなくなってしまい、

「シァァァァァァアァァァ!!!」

メグがパニックを起こしてしまったのだ!!

とめどもなく連続で繰り出される爪むき出しのネコパンチ!!

「痛い痛い痛い!!!」

コタツの中を覗いた私の眼前には、真っ赤な灯りの中で牙を剝きだしにしながら攻撃してくるメグのおっそろしぃ形相が!! ヒィィィィィィ一!!!

結局、私は左手に嚙みつかれ、右足首は傷だらけ・・まぁまぁの怪我を負った。。。

私は、無類の動物好きだし、猫も本当に大好きだ。だけど、この事件以来、実家の猫メグは、私にとっては初の 【ちょっと苦手な子】 になってしまった。

数年して父が他界し、また数年して、母が倒れた。母は次第に衰弱してしまい、もう一人では立って歩くこともできなくなり、ついには昏睡と覚醒を繰り返す状態が続いていた。

ある日、母を医療ケア付きの介護施設に引っ越しさせることが決まった。賃貸住宅だった実家を私と姉で引き払うことを決めた時、一番心を痛めたのが、メグのことだった。

その当時、メグは13歳。

母が入院している間、姉が毎日仕事帰りに自宅とは逆方向の実家に立ち寄り、メグのご飯やトイレの掃除を欠かさず続けていたのだけれど、それも長期化したことで姉も疲弊してしまっていた。でも姉が行く度に、誰も居ない実家の暗い部屋で、メグは母のベッドの上にいつも座っていたんだという。きっと、母の帰りを毎日待っていたんだと思う。

家族の誰かがメグを引き取ることを、もちろん考えた。というか、私が引き取ろうと思った。けれど私のダンナさんは幼い時から重いアレルギー疾患に苦しんできた人で、一度私の実家に行った時、呼吸困難を起こして大変だったことがある。そんな人がメグと暮らしていけるわけはない。

家族が引き取れないとなると・・とネットでシェルターや里親探しなど検索しては、あちこち問い合わせた。

「飼育を途中で放棄するなんて猫の生涯、どう思ってるんですかーっ!」と電話口でクドクドと説教されたり、(イヤ、放棄したくないから聞いてるねんけど・・汗)「亡くなるまで終身でお世話します。年間200万円からとなります」、(なかなかな金額・・汗) という施設などもあった。

そんな中で東京のある保護猫シェルターさんが相談に乗ってくれ、別の保護猫シェルターなら引き取れるかもと紹介してくれた。そのシェルターのネコママさんとの出会いが、メグのその後の猫生を変えていくことになった。


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「一歩もご実家を出たことがない子だと、おそらく外に連れ出すだけでもパニック状態になる恐れがありますから、洗濯ネットに入れてまず獣医さんに行って軽い眠剤を点滴してもらってください。」
「それからお母様の匂いがついたもの、タオルやお洋服など何でもいいので忘れずに一緒にもってきてください。東京まで頑張って連れてきてくださいね。」

実家を引き払った日、実家のある神戸から東京にメグを移住させる役目は私の担当となった。

ネコママさんの指示は的確で、軽い眠剤を打ってもらったおかげで、終始メグはウトウトzzz。。新幹線に乗っている間、暴れたり警戒した鳴き声を出すこともなく、やがて新幹線は東京に無事到着した。

保護猫シェルターに着くと、そこには30頭ほどの保護された猫たちが集団生活をしていた。中には、メグと同じように飼い主さんが療養されたり、他界されたために保護された子もいるそうで、メインクーンやアメショーという洋猫種もケージの中で暮らしていた。

メグは他の猫を見たことがない。
自分を「猫」だと自覚しているだろうか。
すでに老猫になってきた今、知らない場所でたくさんの猫との集団生活、ストレスが余計に溜まって早死にしたりしないだろうか。
そして、何より、人間の言葉は関西弁しか聞いたことがない。
「ダメ!」と言われて、それが「あかんよ!」の意味だとわかるだろうか。


こうして連れてきたものの、いろいろな不安や心配が私の頭の中に次々と浮かんできた。【メグを保護シェルターに預ける】 という選択自体、間違ってなかったのだろうか、これは実情、彼女を捨てる ということと同じ意味ではないのだろうか、、と自問自答を繰り返した。でもその時の私には、出会ったネコママさんを信じてこの場所でメグの新生活を始めるという選択肢しか、彼女の命を守る術はなかったのだ。

メグは母が愛用していたスウェット生地のカーディガンといつも使っていたタオルケットに包まって、3日間、ほとんど飲まず食わずで猫ハウスの奥から威嚇しながら「シャアアアアアアア!!!!」を繰り返していたそうだ。

母からは「メグはカリカリしか食べへんねん。」といつも聞いていたので、預ける時大量のカリカリフードをネコママさんに渡したのだけど、4日目の朝、ネコママさんから連絡が来て、

「マグロ缶、めちゃくちゃ食べましたwwww もう大丈夫ですよ。」

マグロ、食べたんかーぃ!!www

やっと、ここは安心していい場所 と認識した途端、お腹空いたんやね。。ネコママさんも、ホッとしたと話してくれた。

それ以来、メグは、猫たちの集団生活の一員としての暮らしを続けていくことになった。

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私は2週間~3週間に一度、保護シェルターを訪ねては、メグの様子を見に行く生活をつづけた。メグの様子はもちろんだけれど、なぜここに30頭を越える猫たちが暮らしているのか。シェルターを尋ねるたびにいろいろな話を聞くことになった。

去勢手術や避妊手術をしていないために生まれてくる地域猫の子猫たちを保護して、定期的に譲渡会を開いては、ちゃんと真剣に猫と暮らしてくれる家族を探して縁組みする というのが一番大きな仕事 とネコママさんは語りだしたけれど、「それ以外のことが結構多いのよ。」と、寂しげに話してくれた。

一度はペットして飼い始めたのに、自分の都合が合わなくなったからと猫を公園や川べりに置き去りにしていく、心ない人たちのこと。

里親に立候補して引き取っては、猫を虐待して楽しんでいる、決して許してはいけない人たちのこと。

孤独死してしまった飼い主さんの遺体のそばで何日間も離れず、保護された猫ちゃんのこと。

1頭、1頭、それぞれに、いろんな生き様、事情、想い出が詰まっている。

どんな悲しい出来事に晒されようと、どんな酷い目にあったとしても、どんな寂しい別れがあったとしても、猫たちは、その生を懸命に生きようとしていた。それは私たち人間の一人一人の人生ととても似ていて、その命の価値は私たち人間のそれと変わらぬ尊いものだと、改めてここの猫たちと出会って深く心に沁みた。

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メグは、ネコママさんにしっかりしつけというか、トレーニングしてもらった。それは、私が敢えてお願いしたことだった。マグロを口にしてからは、どんどん環境に慣れて元気になった・・と思いきや、案の定、他の猫たちにケンカを売り、他の猫ちゃんのご飯を平気で奪っていくメグを、飼い主が居るからと叱ることを躊躇されてはならないと思ったからだ。

ここは、集団生活の場。人間も同じだけれど、ルールをちゃんと守っていくことが、ある意味ここで生き抜いていくための秘訣だとも思った。

ネコママさんの根気強いトレーニングの、そのおかげもあってか、メグはご飯の時間を守り、他の猫たちにケンカを売らなくなった。それどころか、2年ほど過ごした頃には、同じ年齢くらいのおじいちゃん猫、ジンちゃんと仲良くなって、いつも寄り添うようになった。

ネコママさんたちの間では「フルムーンカップル」と呼ばれ、いつも2頭は同じ時間の散歩時間 (交代にケージから出してもらって部屋を歩いたり走り回ったりできる時間) にしてもらったことで、とても仲良くなり、あの気難しメグが、時折柔和な表情を見せるようにまでなった。

そのうち、私に対してもしだいにメグの態度に変化が現れるようになった。

私がシェルターを訪ねると、ネコママさんが言う。

「メグちゃーん、ママ来たよー」

そうすると、猫ハウスから、ひょこっと顔をだし、こちらを一瞥すると

「あん、来たんやな・・・」

って顔をする。そして、私が手を延ばすと、頭を低くして私の手を自分の頭上に迎え入れるのだ。その数年前、コタツのなかで私の手に噛みついた同じ子とは、想像もつかないww

そして、私が「またね、メグ、帰るよ」というと、ぬーっと顔を出して私と鼻と鼻を引っ付ける。こんな挨拶を彼女がしてくれるなんて、母が見たら泣いてしまうかもしれない。

そして、私自身にもすこし変化が起きた。保護猫シェルターに月に何度も通うにつれ、次第にネコママさんやお世話スタッフの方々とも心うちとけていき、いつしか仕事の悩みやプライベートなことまで話すようになっていたのだ。保護猫シェルターは、メグの様子を見に行く場所だけでなく、私の心のシェルターにもなっているような気がしていた。

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猫の19歳というのは、人間の年齢で92歳くらい だそうだ。

気の強いメグも、寄る年波には勝てず、その2年ほど前からほとんど猫ハウスの中で、じーーーーっと寝ていることが多くなった。歯も悪くなり、マグロもやわらかく潰してでないと食べられなくなった。

それでも、私がシェルターを訪ねると、ひょこっと顔をだして、
「来たんか・・」って顔をするのは、変わらなかった。

19歳を目前に、メグは寝たきりになることが多くなり、後ろ足の床ずれがひどくなってしまった。ネコママさんと獣医さんと何度も相談したけれど、積極的な治療( 強い投薬や、最悪、脱脚手術ということも・・) を進めていくか、このまま痛み止めだけで自然に任せていくか。。。選択をしなくてはならなくなった。

ちょうどその頃、長年、こちらも寝たきりのような状態で施設で治療を受けていた母が、不思議なことに起き上れるようにまで回復していた。

心を痛めるかもしれない・・・とは思ったけれど、母に電話を掛けて、その一部始終を話し、相談してみた。
母はすでに時間や記憶の感覚が朧気で、すでに話していたはずのメグが東京のシェルターで暮らしていることに、まずは驚き、涙しながらも、
「自然にまかしてやって。。」
とつぶやくように口にした。

「この世に生まれた命は、いつか必ず消えるもんやからなぁ。あんたらはまだまだ若いからな、いまはわからんと思うけれど、"消える機会"を欲しいと思うようになるもんなんよ。"死にたい" というのとは、またちょっと違うんやと思うねんけどな。死ねないというのも、しんどいもんやと思うねん。私らの気持ちの都合で、いたずらにその機会を奪うのは、あかんと思うんや。」

母の言葉は重かった。
生まれる時は予定日というものがあって、大体その辺りに生まれてくるものだろうけれど、消えていく日はこの世の誰にもわからない。それは悲しみや痛みや苦しみが伴うからなのか、その理由はわからないけれど。
だから、自然にその日が来る「機会」を奪ってはいけないのだと、、メグと離れていてもメグの命を想う母の熱い心なのだと、感じた。

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寝たきりが続き、ほぼほぼあきらめかけていた、
メグの19歳の誕生日は、無事にやってきた。
不思議なことに、その日はメグは毛ヅヤも良く、ネコママさんの言葉に依ると、「朝から起き上がって、貴女が来るのを待ってる感じでしたよ」。

仕事を終えて、駆け付けると、またメグは「来たんか・・」とこちらをちらっと見た。その日は長寿のお祝いとあって、ネコママさん、スタッフの方と賑やかにお誕生日の歌を歌ったり、柔らかいマグロのご飯を差し入れしたりりして、楽しく過ごした。メグはずっとお座りして、その様子を見ていた。そして、帰る時には鼻をくっつけて、私を見送ってくれた。

「またね。メグ。。」

それが彼女との最後の挨拶になった。

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保護猫シェルターのネコママさんとスタッフの方々には、今も深く感謝している。もし、あの時、私がメグを引き取っていたらこんな長寿猫にしてあげられただろうか。こんなに気持ちを通わせることができただろうか。まったくもって、自信がない。
あの時、私も初めてのことだったし、いろいろな気持ちが交錯して、何が正解なのかもわからなかったけれど、保護猫シェルターで過ごした6年もの時間はメグにとっても、そして私自身にとっても、少なくとも正解に近い時間になったのではないか、と思っている。それは運命的ともいえる出逢いと、そして、出逢った人たちの優しさが、導いてくれたものだと、確信している。

母は昨年春、89歳の生涯を静かに閉じた。
きっと先に天国の住民になっている父とメグが、そろって空の入口まで
迎えにきてくれたはずだ。
いまはきっと、両親と一緒にコタツに入っているに違いない。

「メグ、パパの脚にネコパンチしたらあかんよー」

母の優しい関西弁が、空の上から聞こえるようだ。

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