180531 普通、デザイン、質感

9時に目が覚める。眠っているあいだにiPhoneの電源が切れてしまったよう。おかげでぐっすり眠れた。

お昼ごはんのあと、学部生の講義にもぐって構造設計者の方のお話を聞く。
紹介された建築は、ねじれていたりゆがんでいたり、構造的なチャレンジから不思議なかたちをうまく引き出しているものが多く面白かった。
ただ彼が何度も口にした「これだと普通すぎてつまらないので」という言葉が少し引っかかった。
「つまらない」という理屈は、デザインする側のエゴではないか。本当は無理にチャレンジをしなくても普通でいい、むしろ普通の方がいいという場合もあったのではないか、と。

そんな思いを抱えながら、その後ランドスケープデザイナーの長谷川浩己さんの本を読んでいると、面白い問いかけに出会った。

「空き地の魅力は計画された空間があってこそ、その反転としての魅力をもつ(中略)空き地の力が存在することを念頭に、デザインし計画することでしか得られないそこだけの場所の体験とはなんだろうか」

この「デザインし計画することでしか得られないそこだけの場所の体験」は、ちょうど1週間前の日記で書いた「建築が醸し出す空間のくうき」とほとんど同じ意味合いであると思う。どちらも、機能やかたちの意味ではなく、感覚のもつ質感のことを指している。

すると、先の構造設計のチャレンジも、本来はチャレンジ自体が目的なのではなく、普通とはちがった質感(体験やくうき)を作り出すための手段なのではないか、と思えてくる。

かつて誰かによってデザインされ、今では普通と呼ばれるように至ったもののもつ質感とはどのようなものか。そもそもなにかがデザインされる以前から、そこここに存在している質感とはどのようなものか。一歩引いて考えることを大切にしたい。

帰り道、いつも夜はとても静かなメインストリートに、仮設のテントがずらっと並んでいた。なんだか異世界に迷い込んだようだった。
明日から3日間、大学祭のこの時期だけメインストリートにあらわれまたすぐに消えるなんの変哲もないテントたちもまた、ある質感を伴って目の前にあらわれる。

#日記 #エッセイ #建築 #デザイン #本

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