楽に音楽を作るということ

投稿者である私は音楽を作っている。つい先日完成させた楽曲が上のBandcampの埋め込みで聴ける。全然生業にできていないがけっこう真剣で、真剣に取り組めることがあるというのは幸せなことだと思う。

ところで私は3年前からメンタル疾患にかかり、今も療養中なのだ。
双極性障害II型の診断がついているが、ほとんどうつ状態なので、うつ病と同じ感じと考えてもらって差し支えない。

今まで私は自分を追い込むのが好きだった。
苦悩しながら音や方法論を探っていき、行き詰まって諦めかけたところに光がさしてくる、そういうイメージだ。
プロじゃないんだからその辺りは自分の趣味に合うようにやればよいと今でも思っている。

しかしメンタル疾患になったことにより、体力および集中力的に自分を追い込むことができなくなった。血圧を高めるようなことができなくなった。
しかし自分が納得いく音楽は作りたい。どうしたものかと思案した。

思案の結果だが、企業がプロダクトを作る過程を参考にしてみた。
基礎実験をする部門があり、実験結果をもとに現実的なプロダクトに落とし込む部門があり、それぞれの部門に手を動かす部下と管理および決定をする上司がいる(上司も手を動かすけど話をわかりやすくするためにそういうことにする)。

私という一人の人間を複数の部門からなるひとつの企業と見立て、一人バーチャル分業制という感覚をもって取り組んでみた。

結論として効果てきめんだった。
部下が実際に手を動かし曲を制作する。
それを上司が聴いて直すべきところを部下に指示する。
部下は指示をもとに直す。
再び上司が聴いて判断をする。

私の中に部下と上司を仮想的に存在させてみた。

楽曲を作る際はある程度仕上がった音を聴き直して良し悪しをチェックするものだが、制作時に労力をかけた分、思い入れというバイアスがかかる。
「ちょっと気になるところがあるが、がんばって作った部分だから残したい」
「ここの部分はさぼりがちだったからもう少し足した方がいいのではないか」

など判断に労力、思い入れという要素が入ってくる。
そうなると判断過程は複雑になり、チェック→修正という作業はストレスとなる。

部下上司モデルを取り入れるとどうだろうか。
部下が作成した資料を見た上司は、作成に要した労力とは無関係に良し悪しを判断するだろう。
「生徒が制作した作品を添削する先生」という類似したモデルでも同じことが言える。
思い入れが入っていない分、見通しがクリアになる。
自分自身が作った音に対していったんその創作過程を忘れ、別人格が判断するというふりをすることにより、判断自体がクリアになり、また修正する時のストレスも実際に減少した。作業全体を通し、企業がPDCAを回すように淡々と制作サイクルを回したことにより、各過程で情動により発生するエネルギー消費を抑え、エネルギーが限られているうつ状態でもそこそこ納得できる作品を作ることができた。

誤解のないように付け加えると、最終ゴールは「音楽がなにかしらの情動を喚起する」こと。ただ制作過程からはコアとなる作業を除いては情動がなるべく発動しない仕組みをつくった。

今回出来上がった作品を自分で聴いてみて、葛藤しながら弄った部分がないためか、とても安心して聴ける。今までにはない感じだ。これはこの病気になったらこその変化だろう。
もっとも他人からはどう聴こえるかわからないが。

ぐちゃぐちゃになりながら葛藤して作った音楽はそれゆえの味わいがあるだろうから、それを否定するわけではない。ただ私は病気を通して変えざるを得なくなり、それはそれで新しい発見があった。

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