その1|そうぞうの根を辿る旅

わたし自身の大学卒業制作と今がどうちがうのか考えたいと思いました。

学生の時は、私はアイデンティティの問題が一番大きかったです。

とにかく、これからどう生きていくのか?(生き延びられるのか?)就職のことも考えが及ばず、未来のことを考えられずに、就職活動の最初の一歩である履歴書記載に手もつけられず(履歴書の性別に丸もつけられないまま)、卒業制作の時期になってしまいました。

毎日、じぶんのことで何から手をつけていいのかもわからないくらいなやまされて、どう生きるのかなんて未来のことを考える余裕もなかったようにおもいます。いや、ぜんぜんなかったんです。

そのときのわたしはゆいいつ、そのときわたしが生き延びられる選択として、ある治療をはじめていてそのとき知り合いが、病院から自宅までの風景を撮りたいといわれて、撮ってもらったときがありました。プロのカメラマンです。

電車にのっている姿の写真をみたときに、わたしは初めて、じぶんのかんがえていることを声としてあげないと誰にも社会に届かない、《なかったことにされる》存在なんだとしりました。そのときの《発信しなきゃ》というおもいと、大学卒業がせまっていて、卒業のために制作しなければという期日の中でなんとか形にしたのが卒業制作でした。

作品は、わたし自身の問題を提起した上で、自分自身の問題でなくって、いつかわたしたちの問題として考えられますように、という私的な問題でありながらも、パブリックに問いかけるような作品に仕立てました。(仕立てたつもりです。)

今は、どちらかというと私は「あっきー」という存在として、社会と接点をもち(仕事をし、暮らし、何不自由ない)へいぼんな日常を過ごせています。きせき。

そして服をつくるのは私の中では、自分のくらしをつくるひとつの作業で、料理をすることや掃除をすること、野菜をそだてることと同じ感覚で行ってきました。もちろん、私が服作りを始めたときから、いや、はじめるまえから「服でみんなの居場所をつくりたい」とかんがえていました。だけれど、私自身の過去になやんだこととかはあまり開示するつもりはなくって、そもそも《その人じしん》を《その存在》を支え、受け入れ、生かせるようなそういうものづくりをしたいとかんがえていたままでした。

服づくりをはじめて、みんなの服を作る準備がととのいはじめていたときに服につける紙タグをかんがえはじめました。さいしょの段階の文章をかいてみました。ちょうどTinderで知り合った方に会うタイミングだったので、感想を聞いてみました。

(※アプリを通じた出会いはもはやとても身近な存在になっています。手軽に出会えて、手軽に距離を置くこともできてしまいそうです。一方で、リアルで趣味や興味を通じての出会う出会い方にもよさがあるとおもいます。どちらにせよ、出会いは出会いだしなかよくなれたら素敵だなとおもっています。ただ、アプリでの出会いは都会ならではな気も少ししていて、私にとってはあまり多くないので、その記録としてアプリ名を載せました。)

私自身も自己開示をあまりしていなかったのですが、何かしらのマイノリティであることは伝えていたなかで、「素材だけの文章になっている、芸術は社会との接点が大事、社会が変わるまでは闘っていくことが必要だと思う」のような?ニュアンスのことをいってくれて、あらためてじぶんじしんの立ち位置をかんがえるきっかけを与えてくれました。

最終的には今のステートメントになったのですが、ヒントを与えてくれたのは私の卒業制作の時のステートメントでした。やはり、パブリックに問いかける仕組みとしてうまく文章がかけていたからだとおもいます。

とはいえ、10年前の私と、今のわたしはあきらかに生きづらさ、なやみみたいなものはすくなくなり変化したと思っています。もちろん社会も変わりました。が、自分自身の社会経験がおおきくて、治療も10年続けていまは中断中です。
あらゆることが変化し、じぶんも自身を受け入れたりするなかで変遷を経て今の形をつくりました。
特に変わった点は、自分の問題から、みんなの居場所をつくりたいという私自身の視点のちがいかなと考えています。


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