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春の訪れ~わが愛した人たちへ~会津の山々


まだストーブに頼る朝夕。
光は春の装い。

数年前に植えたミツマタが満開
クロッカスも咲いた
ニシキギはやわらかい萌黄色の芽ぶき

父が2月の雪の朝に逝ってから31年が経った。
父は本を読むのと文章を書くのが好きな人だった。

今でも手元に文集やエッセイ的なもの、詩などが残っていて、時々読み返している。
父は肺を患って年中咳をして、最後には間質性肺炎を悪化させ急逝した。

この季節になると思わず読みたくなる、亡くなる数年前に書いた文章。

わが愛した人たちへ

暗いみちがどこまでも続く
このみちは果てしなく遠い
時間がない 空間もない
色もない なにも見えない
仲間もいない ただ一人の永い旅だ
地獄も極楽もない あるのは「無」そのもの
人間社会に生まれる前も これと同じであったのだ
前へ進むのではない もとに戻るのだ
生まれる前のことが 何もわからないように
善悪も苦楽も 喜びも悲しみもない世界
そこが億万浄土なのだ 急ぐことはない
お呼びがかかるまで ゆっくりしよう
私は悲しくもあったが それ以上に楽しかった
若し私の目を閉じるのが 君たちより早かったとしたら
木の葉が一枚落ちた そう思ってくれればよい
来年また春が来て 木の葉が開くから
そのとき私を思いだして 声をかけてみてくれ
私が待っているなんて 思ってはならん
毎年春になれば 私が君達の前に訪れるのだ
会津の山々 勿来の山 越後の山 日光の山
そこには若き日の 思い出とともに
土に根を張ったものが 空に向かって生きている
悲しくなったら山へ行って 涙を流せば良い
全部山の土が吸いとって 樹木の肥やしにしてくれるから

感傷的で、懐かしさや父を回想させる文章だ。

生前父は「般若心経」を覚えて、朝には仏壇で唱えていた。
仏壇で唱えるのは普段の自身のあり様を「整理整頓」していたのだろうか。
誰しも、満点な生き方などできない中、父も考えることがあったのだろう。

残された「ことば」は愛おしい家族や友人を思い浮かべ、さらに自身の命の行先を考えたのだろう。と想像する。

愛煙家で、咳や痰が多くなってからは、病院から禁煙を進められ、家族にも注意され、それでも隠れて吸っていたという。
今では笑い話になるが、二階の窓からこっそり捨てた吸い殻が窓の下の草むらの中に大量にあるのを見つけた母の話はあとになって聞いた。
煙草をやめれば、まだまだ人生を過ごせたのにと思う。
あの当時、「ワープロ」を使って作業をしていたが、達者でいたら、
パソコンやスマホを使いこなして楽しんでいたのかと思う。

それも詮無いこと。

桜の開花も近づいた。
お墓のつぼみはまだ固いだろう。
彼岸の近い日。たまに父想う。












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