誕生日がいつからか、自分の生まれた日を祝うという以外の意味を持っていた話。
10月12日。
私が生まれた日であり、誕生日と呼ばれる日です。
私の仕事が「人生を祝う」というものだということあり、今年は改めてこの誕生日という日の意味を考えながら過ごしました。
そして気づいたんです。
いつの間にか、誕生日が「祝われる日」から「祝う日」に変わっている
祝われたい、という気持ち
皆さんは「自分の誕生日」というと、どんな感情を抱きますか?
実は20歳くらいまで「祝われたい」という気持ちがめちゃくちゃ強かった思い出があります。祝ってくれる=大切に思ってくれている、というロジックがあった私の中では、毎年ちゃんと祝ってもらえるかな、とドキドキしながら過ごしていました。
「あなたの存在を祝いたい」と感じた今年の誕生日
そうして迎えた今年の誕生日。
前日から友人がサプライズでお花を用意してくれたり、母から手紙が届いたり。でも、ほとんどの友人は直接会えずメッセージでお祝いしてくれました。世界中から、その数は数十通にも及ぶメッセージが届きました。
ひとつひとつ大切に読みながら浮かんだ想い。
この人に出会えてよかった。
何よりこのあなたの存在が、私を日々支えてくれているんだ。
この機会を通して、相手にこの感謝と存在の素晴らしさを伝えられました。そして気づいたこと、それが「祝われているはずなのに、相手の存在を祝っていた」という事実。
人間が一生に出会う人の数は約3万人。その中で会話をし、親しくなる人の数は300人と言われています。
24年間生きてきて、確実に何千人の人と出会う機会があった中で、こうしてわざわざメッセージをくれる人の存在。本当に奇跡でしかないですよね。
その一つ一つの出会いに感謝しながら過ごした1日でした。
ちなみにみんな共通して「夢を追いかけて、日々楽しそうに濃く生きてる姿がまぶしい」と言っていて、自分を客観視できて面白かったです(笑)
来年、25歳になった自分へ手紙を書いて今日を終えました。
24歳もどんな人と出会い、どんな場所でどんな景色を見ていくのか、私自身も未知で楽しみ。今年の目標はずばり
想いの強さを武器に 目に見える結果を残すことにコミットする
想うだけなら、信じるだけなら、誰でもできる。
この世界を更新していくために、普通で溢れる社会を変えていくために、熱量で爆速で進んでいきます。
24歳のエバタアキミもよろしくお願いします。
2020.10.12
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