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死にたくなった夜

ある年の暮れに、僕は死にたくなった。
それは決して周りから心配されるような「死にたい」ではなかった。何かから逃げたいわけでも、自らの将来を悲観したわけでもなく、ただ「死んでしまいたい」と思った夜だった。「死にたい」と同時に「生きていてよかった」とも思った。



父に案内され、人生でいちばん近い距離で彼を見た。とても痩せていて、どこか人間離れしたような印象を受けた。
元来人と目を合わせるのが苦手な自分ではあるが、彼のことを直視することは出来ないのはそのせいだけではなかった。

ステージで飛沫防止シート越しに彼を見た。
自由と希望と絶望の塊のような姿だった。

午後6時頃、彼は僕の隣に座った。
彼の目は狂気と純粋さと憂いに満ちていたように見えた。僕は「おそろしい」と思った。
全てを見透かしているような、それでいて何も知らない子供のような、諦めてしまった大人のような、そんな目をしていた。

僕はなにか伝えたかったが、ほとんど何も言えなかった。自分の心のありのままの姿を、己の貧しい表現力のフィルターを通し、さらに現実の空気に晒してしまうと、酷く歪んだ陳腐な形になるのは目に見えていた。そして何よりも、自分の平凡さが彼にばれてしまうのが怖かった。ただ周りの会話を頷きながら聞きビールを静かに飲む彼の横で、僕も普段飲まないビールを阿呆面で口に流し込んでいた。ほとんど味はしなかった。

時間は過ぎ、僕が帰る時間になった。周りの人達の勧めで写真を撮ってもらった。顔をくしゃくしゃにして笑う彼の横で、僕は汚い薄ら笑いを浮かべていた。

外は雨が降っていたが、僕は傘を持たずにフードを深く被って歩き出した。タバコに火をつけ、深く吸い込み、叫んだ。叫んでいた。そんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。名前の無い気持ちに名前をつける余裕もなく、ただ吐き出した。雨は降り続け、声は吸い込まれ、煙は空に浮かんでいた。

家に着き、眠り、翌日仕事に行く。仕事に向かう電車内で父から送られてきた動画を見た。そして歌う彼を思い出し、僕は思った。彼の歌う姿よりも意味のあることなんてこの世にあるのだろうか、と。

ひどく空虚な心持ちで地下に向かう階段を降り、飲食店街を歩く途中、前の晩の自分に生まれた気持ちの名前が初めてわかった。ああ、死にたいと思ったんだと。

今までの「死にたい」とは全く違っていた。空虚だが絶望ではなかった。ただ自分と自分の気持ちがそこにはあった。


そんなことを考えながらぼんやりと仕事をこなし、年を越した。



新しい曲を聴いた。

僕の彼の気持ちに向ける気持ち、それは多分恋だ。死にたくなるほどの恋は初めてだ。

僕の恋は海へ溶かしてゆくことができるだろうか。


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