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全国の源氏たちへ告ぐ、そもそも源氏とは…  吾妻鏡の今風景12

以仁王は、日本各地の源氏に平氏打倒を呼びかけた。日本各地の源氏に、って源氏はどこにどれくらいいたのだろうか。そもそも源氏とは、天皇の子孫が臣籍降下して源(みなもと)のナントカを名乗った人と、その子孫。
 
さきごろ(2022年9月)、デンマーク王室のマルグレーテ2世女王が、8人の孫のうち、王位継承権の順位の低い4人の王子、王女の称号を剥奪するとした。称号剥奪以降は王族ではなく貴族(伯爵)となるが、それと同じようなことが、天皇家においても行われていた。

というわけで、そのようにして臣籍降下した源氏は、のちに源氏二十一流となる。(と、歴史の本には書いてあるのですが、二十一って、けっこう複雑。絶滅しちゃった流もありますし。)

まずは、嵯峨源氏(さがげんじ)。52代嵯峨天皇の皇子のうち17人が臣籍降下して源氏を称したことに始まる。有名なのは源融(みなもとのとおる)で、紫式部『源氏物語』の主人公、光源氏の実在モデルとも言われている。なんとも雅な公家源氏であった。
源融の息子たちは地方に下り、玄孫の源綱(みなもとのつな)は、のちに摂津国西成郡渡辺津に移住、当地の地名から渡辺綱(わたなべのつな)と名乗る。このようにして、源(みなもと)から、各移住先の地名を名乗って、渡辺氏、赤田氏、瓜生氏、松浦氏、蒲池氏、奈良原氏となる。
 
そして清和源氏(せいわげんじ)。56代清和天皇の皇子4人と、孫にあたる王の12人が臣籍降下して源氏を称する。清和源氏もまた各地に散らばり、摂津源氏、河内源氏、信濃源氏、常陸源氏、多田源氏、美濃源氏、甲斐源氏、大和源氏、尾張源氏、下野源氏、上野源氏などなど。

すでに登場した頼政は摂津源氏。清和天皇の孫の経基王のさらに孫の頼光が摂津源氏のはじまり。頼光は鬼退治で有名な人で、嵯峨源氏の渡辺綱は頼光の部下となる。当時の武士は、貴族のガードマン、盗賊退治だけじゃなく、化け物退治も仕事のうち。「鳴弦の儀」は、弓に矢をつがえずに弦を引いて「びーん、びーん」と音を鳴らす魔除けの儀礼、弓を携えている武士ならではのお役目。
清和天皇→貞純親王→経基王→満仲→頼光→頼国→頼綱→仲政→頼政

河内源氏は、基経王の息子の満仲の息子の頼信からはじまり、河内国古市郡壷井(大阪府羽曳野市壷井)本拠地とする。頼信の息子の頼義が相模国に派遣され、鎌倉大蔵の所領を譲りうけたことから、鎌倉ゆかりの武将となったことは、前にも書いた。
清和天皇→貞純親王→経基王→満仲→頼信→頼義→義家(八幡太郎)→義親→為義→義朝→頼朝

八幡太郎義家は、勿来の関を経て奥州へ

頼義の息子(長男)が八幡太郎義家(奥州へ遠征に赴いた人)
頼義の次男が次郎義綱(よしつな)。京都の賀茂神社で元服したことから賀茂次郎と称する。が、兄義家のあとを継いだ義忠が何者かに暗殺され、義綱はその犯人として佐渡に流され、自害。(のちにそれは冤罪であることが判明)
頼義の三男の義光は、近江国の大津三井寺(園城寺)で元服し、園城寺には新羅明神が祀られていたことから、新羅三郎義光。新羅明神(しんらみょうじん)は道教神、もしくは朝鮮半島からの渡来神であったのではないだろうか。

勿来関の八幡太郎義家像

新羅三郎義光の息子の義清は常陸国武田郷に居住し武田冠者を名乗る。常陸源氏。が、領地争いから、その息子の清光と共に、甲斐国市河荘へと追いやられる。なお、義清の兄の義業は、常陸太田に残り、佐竹氏の祖先となった。
清和天皇→貞純親王→経基王→満仲→頼信→頼義→(新羅三郎)義光→(武田)義清→(武田)清光→(武田)信義→(武田)信光

また、八幡太郎の四男の義国は、新羅三郎義光と常陸国を巡って争い、のちに下野国に足利荘、梁田御厨を立券。(注・立券は正式の証明書、荘園や御厨の所有を朝廷や有力な神社などから認められることを意味する。) その息子の義重が、新田荘を本拠地として新田氏(新田源氏)となる。
清和天皇→貞純親王→経基王→満仲→頼信→頼義→義家(八幡太郎)→義国→義重

甲斐武田氏(甲斐源氏)の勢力は大きく、『吾妻鏡』によれば旧暦8月25日、すなわち石橋山で頼朝が敗戦したのち、大庭景親の弟の俣野景久が駿河国目代の橘遠茂とともに甲斐へ攻め入り、武田信光がこれを撃退した。頼朝は、武田信光をライバルとして警戒していたらしい。

宇多源氏(うだげんじ)は、59代宇多天皇の皇子と孫の諸王が臣籍降下し、その子孫は、庭田家、綾小路家、五辻家、大原家、慈光寺家などの公家、そして佐々木氏、六角氏、京極氏、尼子氏、朽木氏、黒田氏…などなど、近江源氏、出雲源氏などの武士団を形成する。

村上源氏(むらかみげんじ)は、62代村上天皇の皇子の致平親王、為平親王、具平親王をそれぞれ祖とし、公家の久我家、中院家、北畠家、岩倉家、六条家、千種家、掘川家、土御門家などに分かれ、こちらもまた、所領や住居の地名にちなんだ名字を名乗ることになっていく。

というわけで、全国の源氏が集結したなら、それはたしかにすごいことになるわけではありますが。   (秋月さやか)

こちら日本橋兜町、八幡太郎義家の兜をかけた岩でござい


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