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詩集「優雅な挨拶」 iii<思考> 野口儀道

<思考>





「亀裂」


こんな丘辺に座って
何を僕等は考へてゐるのだらう。

ほのぐらい金や緑の陰影の中で
何時の間に僕等のお祭は流れていつてしまつたのか。

野原はむかしのやうに明るく
雲はむかしのやうに白い

瞳と瞳と向け合つて
向け合つた暗い瞳と瞳の間で
抱き合つた肩と肩との間で
何といふ黒くわだかまつた不安なのだらう。

静かに草原をよぎつて
森といふ森
街といふ街に
涙のやうにともしびを求めても
あせた頬にあからみは戻らない。

空のやうに高く笑ひ
小鳥のやうに話し
そよ風のやうに歩き

あゝ
こんな風土の野から野
丘から丘へ
太陽のやうな幸福を詩(ウタ)つた僕等

青い空で
ほんの少し浮いた悲しい亀裂の上を
僕等はただ一つの事だけをみつめてゆかう





「春」


すべてのものに春がくる。

白い僕の両手が風のやうにそよいで
冷めたい窓硝子につかまると
着ふるした外套を脱いだ僕の額が窓に現れる。
そつと僕は外をみる
黒い土や若葉
素足に草履をはいた女達

強い力で僕が窓を押すと
目覚めるやうな春の息吹きとざわめきが
解き放れた窓のほとりで
忽(タチマ)ち大河のやうに溢れ
僕は春の野つ原に泳いで
海のやうな光や
笛のやうな青空の中で
哀しい自分を投げるのだつた。

すると青い葉つぱのやうな僕の瞳で
故も知らない涙がこぼれ
手折つたえにしだの枝をかかえ
僕は黄色い花が咲く丘を静かに駈けてゆかうと思ふのだつた。





「思考」


俺達はいつも地獄のふちにゐた。
俺達はいつも極楽のふちにゐた。

一番雛がなくと起き出でて
俺達は俺達の存在と生命について考へた。
夢みる事は許されなかつた。
裸のまゝ俺達は高い石段の上に立つた。

水は優しい花々をのせて
春の到着と共に流れて来たが
化石して俺達の唇は冷めたく
身をかがめて水をすくふには
俺達の身体は熱つすぎた。

俺達は俺達と
嵐のやうな静穏と
一匹の小蟻と
巨大な入道雲と
涙のやうな笑と
こはばつた石像と
荒漠たる灰褐色の平原を想つた。

俺達はひよろめきながら歩いた。
消えてゆく俺達の夢想の中で
俺達はもつと凄まじい俺達をみた。

俺達は白い砂埃をあびたまゝ砂漠の中に立ち
切れるやうに美しい俺達の生命の事を思つてゐた。





「覆滅」


絶えず俺達を覆滅させるものについて考へよう。
絶えず俺達に希望を持せるものについて考へよう。
俺達を走らせるものについて考へよう。
俺達は歩いてゆく。
歩いてゆく俺達の頭上で
裂けた眼球のやうな青空や
唖のやうな俺達の唇が拡る。

公園のベンチに座つて
黙つて煙草をふかしてゐるのは俺達だらうか
俺達は嘗(カ)つて
夜明けと
暁と
太陽とすらも抱いたのではなかつたか。

あらゆる痴放は笑ひ
あらゆる叡智はわらひ
あらゆる血潮と
あらゆる肉体と
あらゆる事物と
笑ふといふこんな季節に
更にこはばつた俺達の笑が必要とされるのか。

涙は涸き
血潮はすぎる。
射すやうな白い光にさらされて
俺達の裸体ばかりが転つてゐる。

羊皮紙を裂いて血をぬり
幾人の俺達が金泥の文字を書き続けて来た事か。

祭は去つて
嵐は来る。
嵐は去つて
祭は来るか。
俺達永遠の祭の子は曇天の日を好まない。

俺達は駈けてゆく
嵐の中を
祭の中を
白い海辺を
血潮を
闇を
絶壁を
他(ホカ)の事を俺達は何んにも知りはしないのだ。





「朝」


白い僕等の皮膚がうるほひ
切れるやうな肉体の朝がきたら
紫色のすみれの花にまみれて
鋼鉄車のやうに僕等は駈けて行かう。

空でどんな悪意がまかれても
高原でどんな茨のとげが僕等を刺しても
明るい野辺の丘まできたら
海でよごれた僕等の手足を
褐色の海藻と一緒に日射しに干さう。

都会が都会であり
農村が農村であり
林檎の畠が林檎の畠であり

僕等は広い平原で
飢えては青いはしばみの葉つぱをかもう。

寂寥が来たら
永遠の生命を思はふ。
涙が湧いたら
肉体の血潮の流れを信じよう。

底深い悲しみの淵で
星空のやうにきらめく喜びの花を投げよう。

丘から丘へ
絶望に充ちた松明を運ぼう。

花が咲いたら僕等の生まれたまゝの裸を讃えよう。
僕等の持つてるあらゆる美しさを
僕等の持つてるすべてを
あたり一面
空一面
すべてのところへまき散らさう





「詩」


詩は僕等の死体の中から咲いて来る。
僕等は泣いたり
笑つたり
恐つたり
歩いたりする。
詩はそんなもののむかうにある。
人間達。
僕等は涙の海に浮んだ前進基地。
ほんとの笑と
ほんとの涙と
笑ばかりのこんな途方もない洪水を
僕等はいつでも待つてゐるのだ。





「海」


海で沈んでゆく僕たち。
海月(クラゲ)のやうにひらひらする足のむかうで
まつかいホホヅキの実が空になり
おかつぱ頭の女の子。
いがぐり坊主の少年がないてゐる。
キラキラした光の中で鬱金香(ウッコンコウ)の花。
暗い僕等の瞼の中に立つて
こんなに
白い海浜を眺めてゐよう。





「馬鹿な又は不要な置手紙」


僕は行かねばならない事になりました----------今となつては----------幸福なリズムがつくり出す泡の中に浮んでゐる
僕は小さな道化師でしようか。
青いリノリユームを引いた長い廊下で
憂鬱さうに黒いバツクスキンの靴を穿き
爪立つてゐる僕の足。

胸を飾つた赤い花について
リスのやうに敏捷(ビンショウ)に僕は何を語つたでしようか。

硝子のやうな危険さ。
ときほどいた綱の中で
僕は怒も涙も見ませんでした。
げらげらした高笑ひも
もう存在を許されないでしよう。

白と黒の金属。
黄色い天秤。

みつめる僕の目の果で
ほんとの人間だけが
わらつたり
ないたり
あをむけになつたり
ねころんだりするのでしよう。
僕は人間達について語つてゐるのです。
牛や馬や鼠については
僕は知りません。

けれど
もう季節はすぎました。
僕の知らないあるものについてのみ
僕は語らねばなりません。

谷をうづめる薔薇について
流れを流れる花について

悲しみと涙の果しないつながりの上に立つて
差し上げる僕の両手

象牙
狼のやうに裂けた口。

切れるやうな風は
何処の砂漠を吹き
黒いマントと反逆
鈴をつけた僕の馬車。

何んにも話さなかつた僕。
不要な僕の置手紙は終りました。

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