「口先だけの男」
彼の人生は、1つの嘘から始まる。
3歳の頃、銭湯に行くと、大人はみんな鏡に向かってT字型の物を顎に当てている。
これは何をやっているのだろうか?
そしてT字型の物は隅っこにある三角の物体に沢山入っている。
自分も真似してみようと思い、1つ取って頬に当ててみた。
頬に強烈な痛みが走り、鏡を見ると血が流れている。
痛さと恐さで大泣きするとすぐに脱衣所まで戻され、頬には絆創膏を貼られた。
何故血が流れたのか?親からこう言われて返した言葉は
「風呂場の角で滑って転んだ」
きっと頬についてる傷を見れば、明らかに嘘をついているのだが、親は納得してくれた。
この頃から、嘘をつけば許してもらえる、そういう風に人格が形成されていったように思う。
年を重ねて、色んな事が起こる…
いや、色んな事を起こす度に、言い訳と嘘で逃げてきた。
そのせいか、なんとなく知っている事でもドヤ顔で話に参加できる。
そしてディープな話題になるとわからないのでそっと会話から離れていく。
こうやって、どんどん人格の歪んだ人間が出来上がる。
正直、周りの人に恵まれているだけなのだが、本人は気づかない。
それどころか「俺は悪くない」という謎理論を展開する。
そうやって今日まで生きてきたが、
そんな人間にも鉄槌が下される。
急遽、会社のトラブルがあり、お客さんへ電話対応をする事に。
いつもの通り全く心のない謝罪からスタートし、お客さんの話を受話器から外した状態で聞き、一通り話が終わった辺りで耳に当て、適当な相づちを打って肯定し、改めて謝罪する。
だいたいこの流れで100%トラブルは終了する。
しかし、今日に限ってお客さんが引き下がらない。
会社の文句や店員の態度など、この際だからまとめて言ってやろうとしてなかなか電話が終わらない。
「うるせぇ!ババァ!」なんて言えたら最高だが、一瞬の怒りでその後起こるもっと面倒な事には対処したくないので、右手で携帯の麻雀をやりながら片手間で聞いている。
お客さんの怒りも収まり、私は話を聞いていましたよ、その通りです、これからしっかり対応させますね。
なんてほぼ聞いてない話を復唱し、機械と同じような言葉で何度も繰り返す。
話が終わって納得したお客さんから、ふいにこう告げられる。
「アナタ、口先だけの男みたいな感じがするわ」
うるせぇババァ!と言いたいのを堪えて、こう返す。
「よく言われます」
実際に何度も同じような事は言われるし、妻からも毎日怒られる。
しかし、第3者から言われると流石に考えるところはある。
お客さんからはそうだと思った、アナタもっとちゃんとしないと…なんて事を言ってたような気もするが、
相変わらず受話器は耳に当たっていない。
例え電話口でも、思っていない事を言葉にすれば、それが本心なのかすぐにわかってしまうのだろう。
それに改めて気づかされた今日、私は成長できたように思う。
これからは面倒だと思わず、1つ1つの事に真剣に取り組めば、きっと何かが変わってくると信じていたい。
最後に1つだけ言わせてほしい。
「うるせぇババァだな」と。
※このお話は、フィクションを元にした実話です。
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