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インターネットとの付き合い方について考える②

先日、インターネットの使い方について一人でぶつぶつ考える音声配信を実施したのだが、予想外に反響があった。ありがとうございました。意外と見られているものだなあ。私のノートのフォロワーは二十人ほど。もしフォロワーの皆さん全員が聴いていたとしたら二十人くらいが聴いたことになる…でも、実際にはそれ以上いたんじゃないかという気がする。

フォロワー二十人。この二十という数字だけを見るとなんだか少ないような気がするけれど、よくよく考えてみればとんでもない。例えば「友達」と呼べる人の数を数えてみても、二十人もいるかどうか分からない。十人もいるかどうか…。二十人の人たちの耳に届いたのであれば、もう出来すぎだと思う。

ほんとうにただの思い付きで気軽に録っただけのものが、知らない誰かの生活に一瞬でも紛れ込んだのだと思うと、寒気がするというかなんというか、なんとも言えない気持ちになる。誰がどんな思いで聴いていたのか完全に想像を絶する。こんなことが気軽にできてしまうなんて、ほんとうに大変な時代を生きているなあと改めて思う(とかっていろいろ言っていますが、やっぱり聴いていただくのは嬉しいです。どうもありがとうございました)。

やってみて改めて思ったが、やっぱり自分はインターネットを通じてたくさんの人と知り合ったり関わったりしたいわけではないんだろうなと思う。結果的に数百人単位の人たちに届くことになってもそれはそれで構わないけれど、べつにそこを目指しているわけではない。そんなことよりも、少数でも自分が信頼を置くことのできる人たちとの関係性をもっと大切にしていきたいと思う。

これは、インターネットに限らず現実の人間関係でも同じだ。「インターネットでしか表現できない自分」というものもたしかにあるのかもしれないけれど、それと現実の自分とを切り離したいわけではない。書いていることは立派でも、実際の生活はぜんぜん違うなんてことはよくある。なるべくならそうならないようにしたい。

現実の自分とネット上の自分は気を付けていないと簡単にズレてしまう。たとえば、威勢のいい目標を掲げるだけ掲げて実際にやってみた結果を反省しないとか、弱い自分を鼓舞するために強い言葉を自分自身に言い聞かせるとか、そういうことばかりやっていると、どんどん実態とズレていく。いやべつにズレてもいいのだけど、私がやりたいのはそういうことではない。せっかく表現する媒体があるなら、自分が気になることを納得するまでとことん考えたり、自分の感じたことを可能な限り繊細に拾い上げたりすることの方に力を注ぎたいと思う。


そういえば、先日のラジオの中で「最近のインターネットはお金の臭いがするからイヤだ」というような話をした。べつにお金を稼ぐことが悪いと言いたかったわけではなく、お金を稼ぐことが第一の目的になると、表現の中身がどうしても貧相になってくるような気がして、それを問題視しての発言だった。

あるYouTuberが「今さらYouTubeに参入するなんて遅すぎる」というようなことを言って話題になっていた。テレビで活躍していた芸能人がインターネットにこれだけ参入するようになった今、一般人が今さら0から影響力を持つようになるなんて無理、ということらしい。たしかにインターネットでお金を稼ぐには、たくさんの人に注目されてナンボみたいなところがあるのだろう。広告費でお金を稼ごうと思ったらPVや再生回数を数万単位で伸ばさなければならない…という話はよく聞く。

でも、インターネットってそもそもそういう場所だったっけと思う。いろんな人がいろんな表現をすることができる場所なのであって、だからこそ良いということじゃなかったのだろうか。有名人など特定の人だけが多数の人に向かって一方的に発信するだけなら、それはもうマスメディアと同じじゃないのか。多くの人に向けられた発信は、どれもだいたい似たような感じのものになっていく。そうじゃないことができるのがインターネットの良さだったんじゃないのか。

バズるとか炎上するとかいうことばかりが注目されるけれど、もっと地味でもっと穏やかにインターネットと共存する道もあると思う。というか、そんな風に使っている人たちの方が、じつはいまだに多数派なんじゃないだろうか。

昨日の剃刀の話ではないが、インターネットについても、自分の生活スタイルに合わせて、自分なりの使い方を見つけていけたらと思う。