『崖を登る者たち』

彼らは、あるツンドラ地帯の山岳に暮らしている。全身を白っぽい体毛に覆われていて、一見しただけでは、とても人間とは思えない。ヒトのようなシルエットをしているが、私たちが人間としてイメージする容貌からはあまりにもかけ離れている。イエティと言った方が近いかもしれない。

しかし遺伝学的には私たち人類とほとんど変わらないということだった。彼らは寒冷な気候に順応するために、全身を柔らかく長い毛で覆うように進化した。退化しなかったと言ったほうが正確かもしれない。私たちと彼らの共通の祖先である猿人は、文字通りサルのように、全身を毛で覆われていた。私たちは進化の過程でそれを失っていったが、彼らはそうでなかった。生物学的にはただそれだけの違いしか、私たちと彼らとの間にないということだった。

とはいえ科学的な説明なんてある意味どうだっていい。私は一時期、彼らと同じ時間と場所を共有して、私と彼らが同じ存在であるということを感じないわけにはいかなかった。どれほど容貌が違っていたとしても、内側で感じていることは同じだった。少なくとも私にはそう思えた。

彼らとは言葉は通じない。言葉以外の、たとえばボディーランゲージなどを通じて意思疎通を図ることも不可能だった。彼らは私とに一切の関心を抱いていない様子で、近付いてコミュニケーションを図ろうにも、まるで私などいないかのように無視された。

そもそも彼らを見つけても近寄ることさえ困難だった。彼らの住む急峻な崖は転げ落ちないように立っているだけで精一杯で、目指すところへ自由に歩けるような場所ではない。私が崖で辛うじて腰を掛けられるような安定した箇所を見つけて滞在していると、ときたま彼らは崖下からどうっと押し寄せてきて、すぐに去っていった。そんな風にたまたま彼らの通り道に私がとどまっていたときだけ、私は彼らと会うことができた。

彼らは崖を登っていた。全速力で、崖下から山頂へ向かって、群れをなしてひたすら一心不乱に登りつづける。それは上昇気流のように激しく垂直に立ち上り、崖から崖、岩から岩へと猛烈な勢いで地の底から駆け上がっていった。とにかく登る足を止めなかった。

彼らは登りながら食事も排便もした。彼らが眠っているところを見たことはないが、それが登りながら眠っているのかもしれないし、眠った者から落ちていくのかもしれない。実際、彼らの一部は崖から滑落していった。その数は決して少なくない。集団のうちの何割かはつねに落ち続けていて、それに構うことなくその他の者は登りつづけた。

あきらかに異様な光景だった。この世のものとは思えなかった。それでも何度か体験するたびに、私は少しずつこうした現実がこの世にあるということを受け入れないわけにはいかなくなっていった。

地球の広さを思い知った。もはや前人未到の土地なんて残されていないと思っていた。インターネットが地表のすべてを覆っているかのように思える現代。あらゆる土地は人の目によって探索され尽くしたと思っていた。しかし、目の前に広がる光景は間違いなく初めて見るものだった。見たことも聞いたこともない異界の姿だった。

場所は森林限界のすぐ近く、生物が生きるのに適しているとはとても言えない土地である。平地はほとんどなく、針葉樹林の立ち並ぶ森を抜けた先は、剣山のように切り立った険しい山々が見渡す限りに広がっているだけだった。岩壁は北からの冷たい風が容赦なく吹きつけ、風化した岩肌は脆く崩れ、鋭く尖った内部の結晶が剥き出しになっていた。

それほどまでに厳しい環境に、彼らはなぜ住んでいるのか。そして、彼らはなぜ山を登り続けるのか。登った先に何があるのか。命の危険を冒してなぜ登るのか。何も分かっていない。登らない者は落ちる。落ちた者はまた登る。登るか落ちるか。とにかく彼らにはその二つの選択肢しかないようだった。

もちろん生物学的に、摂食しなければ生存することはできず、生殖しなければ子孫を残すことはできない。だから、とにかく登りつづけるという異様な行動様式を持っているとはいえ、摂食や生殖はどこかで行っているはずだろう。

一度だけ彼らの一人が登りながらイモを齧る姿を見かけたことがある。

彼らは登りながら石や木片などを手にすることがある。その多くはどうしても踏みしめる場所がないときの足場として使われる。当然ながら、岩壁にいつも都合よく足場があるわけではない。そうしたときでも彼らは、拾った自然の材料を駆使して、ほとんどペースを落とすことなく登りつづける。もちろんうまくいかずに落ちる場合もあるが、決してただ無謀に登っているわけではない。

私がそのとき見かけた者は、石ではなくイモを持っていた。レンガのような形をしていたが、色はサツマイモによく似ていた。彼はイモを足場として使うため、崖の切れ目にそれを挟んだ。そしてその瞬間に一齧りして、残されたイモを踏み台にまた上へ登っていった。ほんの一瞬の出来事だった。

少なくとも食糧を求めて登っているわけではないということが、そのとき明らかになった。むしろ食べることを犠牲にしてまで登りつづけているように見えた。私はふたたび驚愕した。そしてさらに謎が深まった。そんな風にしてまでなぜ登るのか、と。

言うまでもないことだが、彼らの行動はあまりにも異様で、その意味を理解することなど到底できそうになかった。しかしそれは私の心を深いところで捉えた。彼らの行動を理解できなくても、彼らのなかの何かに私はどこか自分と共鳴するものを感じたような気がした。それは共感と言ってもいいようなものだった。そして私は彼らの行為に畏怖し、次第に尊敬さえするようになっていった。

クモが巣を張ること、トリが飛ぶこと、木々が秋に赤く葉を染めること。私は自然界のそうした営みの意味をどれだけ理解しているだろう。人々が本を読むこと、コーヒーを飲むこと、書類を印刷してファイルに閉じること。人間社会で当たり前とされている行動だって必ずしも生物としての目的に適っているわけではない。だとすれば、私たちと彼らにそれほど違いはないのではないか。今となっては、私はそんな風にさえ思う。

もしかすると彼らが崖を登りつづけるのは、マグロが海を泳ぎつづけるのと同じようなことかもしれない。しかし明らかに違ったのは、胸に湧き上がってくる私の気持ちだった。私は不可解な行動に身を投じつづける彼らの姿に崇高さのようなものを感じてしまった。それはマグロに対するのとは明らかに違う。

マグロは酸素を取り込むために泳ぎつづける。生きるために必要だからそうするのだ。しかし、彼らは生存とか存続とかそういうこととはおそらくまったく無関係に、ただひたすら天空を目指して登りつづけていた。その事実がどうしようもなく私の心を打ったのだった。