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~戸波ケラ~横手市戸波地域で伝統をつなぐ一家


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横手市の旧増田町に含まれる戸波(となみ)地域は、横手市と湯沢市の境に位置しています。元禄年間(1688年~1704年)からの文献が残る歴史深い地域で、樹齢200年ほどの「吉野の種まき桜」や、元禄年間には既に踊られていた伝統芸能「ぎおんばやし」「きつねばやし」など、歴史に触れられるものが多くあります。^^

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取材当日、集落には菜の花が一面に咲いていました。

「戸波ケラ」・・・初めて聞いたとき、何だろう?と率直に思いました。この日、今は編める人がいなく現存している「戸波ケラ」は幻の民芸品とも言われていたはずなのに、「まだ現役でケラをを編むおばあちゃんがいるよ!」と自治会長から情報を得て、さっそくお邪魔しました。^^

戸波地域でケラ製作を今でも続ける
後藤哲子さん(88歳)とそのご家族です!

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①戸波ケラとは。。。

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「ケラ」は「毛羅」とも書き、蓑(みの)のことですが、今で言う雨合羽のことで、重いものを背負うときの背あての役目も果たしています。
戸波地域には元禄年間(1688~1704年)、加賀国(現在の石川県)金沢から来た浪人、対馬監物(つしまけんもつ)が作り方を教えたとされています。
秋田県でワラ細工や人形といったものを今でも手で作り続けている集落は多々あるかと思いますが、「戸波ケラ」は一見、ワラで編まれているように見えますがの、実は主材料はワラではないのです。では一体何で作られているのでしょうか?

②主材料がワラではない戸波ケラ・・・材料確保は至難の業

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主材料は『ミゲ』→地元の山に自生している植物で採取は一苦労!雑草のように生えているけど簡単には抜けてこない。採取したら一旦、乾燥させてそれをまた水につけて戻し、ビニール素材のもので包み何日か置く。しんなりしてきたら編むことができる。

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飾りに使う材料『海草(うみくさ)』→海に生える 藻類 や草のこと。戸波地域には近くに海岸がなく、海のある地方から取り寄せていた。しかし昨今、資源不足で入手が困難。
これを泥で黒く染めて使う。(“ドブ漬け”と呼んでいる。)昔は五右衛門風呂に水を張り、そこから出る鉄分を利用して黒く染めた。

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飾り用『マンダ皮』→地元の山に自生しているマンダの木(地元でこう呼ばれているが、おそらくシナノの木)の皮をはぎ取ってくる。この木を見分けるのも目利きを必要とするが、現在、自生している所を探すのが困難。

と、このようにケラの材料は今では集めるが非常に困難なのですが、ケラ製作が始まった頃は、おそらく地元に自生している植物を採取し、上手に利用していたのでしょう。この役目を後藤家では長男の正博さんが担ってきました。正博さんは鮎釣りのプロでもあったようです。

③それでも「戸波ケラ」を残していきたい!

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昔は冬の農閑期の女性の手仕事だったそうです。地域のいたるところでケラを編んでいる方が沢山いました。女性だけではなく、男性の方もいたようです。実際、哲子さんの旦那様はケラ編みの名人で地元紙で取り上げられたこともあるそうです♪
哲子さんは、姑さんが編んでいるのを見よう見まねで覚えたとか。
「若い時はみんなで集まっで、茶っこ飲みしながら、ワイワイ楽しく編んだもんだよ♪ 今だば、ボケ防止のためにこうして編んでるだけだあ~(^^)」と、哲子さん。
上の写真は「ミンコひねり」という手法で編まれていて、指先に相当の神経を使うようです。ケラの裏地になる部分で、これがあると柔らかい材料で作られるケラの形が崩れないとか。昔の方々の知恵には本当に感服します(^^♪

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娘さんの陽子さんは、「小さいときから当たり前のように、母や父がケラ編みをしている姿をみてきたの。でも、今はホントに材料確保が大変で大きいものは作れない。それでも生まれ育ったこの地の伝統を引き継いでいきたいから、こんな小さなものを編んでいこうと思う。」と話してくれました。
ふるさとの民芸品を大事にしていきたい想いがひしひしと伝わってきました。^^

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哲子さんは、手が動く限りケラを編み続けるそうです。小さいものだと一日、大きなものだと3~4日かかるそうです。陽子さんと二人で作業する日も間もなく訪れそうですね♪


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陽子さんの手作りシフォンケーキでのお・も・て・な・し
心が温まりました(^^♪

※横手市戸波地域の詳細はこちらからご覧いただけます→秋田県のがんばる農村漁村応援サイト(あきた元気ムラ)


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