「笑子ちゃん」と,母の教え

我が老母は太平洋戦争の時代をくぐり抜け,終戦の年は14歳だった。小学校の級友に「笑子ちゃん」という女の子がいた。名前の通り,普段からいつも微笑んでいるようなやさしい顔つきで,とても愛らしく誰からも好かれていた。

ある日の朝礼のこと。演壇に立った校長が,校庭に並んだ生徒の顔を見回すと,笑子ちゃんを見つけ,こう叫んだ。
「貴様!この国家の非常時に薄ら笑いとは何ごとだ!」
担任の先生が割って入る。
「いえ,校長先生。この子は平常の顔がこのような表情で,いつも微笑んでいるように見えるんです」

一旦怒声を上げてしまった以上引っ込みのつかなくなった校長は続けてこう言った。
「ここへ来い!」
おとなしく従って校長の元へ歩いていく笑子ちゃん。校長は演壇から降りると,笑子ちゃんに往復ビンタを食らわせた。
「普段からそんな顔で平気でいられるのは,そもそも根性がたるんどるからだ!」

朝礼の後,しっかり守りきれなかった担任は笑子ちゃんに詫び,級友たちもそれぞれに言葉を尽くして彼女を慰めた。涙のために表情はいくらかゆがんでしまったが,それでも笑子ちゃんの目元から穏やかな微笑みが消えることはなかった。そんな笑子ちゃんを,級友たちはいっそう大切にした。

母は,小学校を卒業してからは笑子ちゃんと会う機会はなかった。何十年も過ぎて,どこで何をしているのかもわからない。それでも,どこかで誰かが何ごとか理不尽な出来事に出くわしたという話を耳にするたびに,笑子ちゃんを思い出したという。そしてそのたびに,母は私にこう言い聞かせた。

「命じる方に,根拠なんかないんだよ。人の上から居丈高にものを言う人間に理屈なんか通じやしない。世の中,筋の通らないことばっかりだし,こっちに非がなくたって文句を言ったり責めたりする人はいくらでもいる。でもね,自分だけは『ちゃんと』してなくちゃダメだよ」

往復ビンタをされないためだけに,命じられたことに諾々と従って身を守るか。言うべき主張とその根拠を普段から備えるよう心がけ,真っ直ぐに「ちゃんと」立って自らの正義を守るか。選ぶのは自分自身。

折にふれて思い出す,母の教え。

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