ローネは寝て待て

【前置き、ぷれりゅーでぃお】

私は、高知大学マンドリンクラブでマンドリンを始め、マンドチェロを弾いている。

大学三回生から指揮者も始め、飽きずに10年以上振ったりもしている。

現在は鳥取県境港市という、ゲゲゲの鬼太郎を生んだ水木しげると魚の町に住み、隣町の米子市で活動する米子マンドリンオーケストラでチェロを弾いたり、練習で指揮を振ったりもしている。

最近の活動としては名古屋の団体プレクトラム結社にて指揮を振ったので良かったら見てやってください。。(ローネは入ってないので悪しからず。。)

【ローネと僕】

画像1

僕のマンドローネとの出会いは、大学のクラブである。
私は当時、高知大学マンドリンクラブに所属していた。
高知大のクラブは、関西の老舗マンドリン団体、エルマノマンドリンオーケストラの主宰、木下正紀先生に30年以上指導を受けていた。
クラブにおいて、OBさんから毎年ローネを一本借り、4回生のチェロパートのクラブ員が弾くことが通例になっていた。ローネを入れるのは木下先生の意図によるものだった。
OBさんは木下先生の計らいによりローネを購入し、そのこともあり、ローネを借りることができた。
正直言って、当時はローネを入れる効果などは、皆目見当がつかなかった。
ただ、大きいなという印象でしかなかったと思う。
自分自身が三回生になり、指揮者にもなって、ローネと多少向き合うこととなり、全体の中でのローネ響きに何となく意識は向いたかもしれないが、それでも、ローネというものへの理解はよくわかってなかった。
今はどうか。
指揮者も10年ほどやり、マンドリンのことも多少慣れてきた感はある。
しかし、正直言って、ローネが分かったかと言われれば、まだ良くわかってないのが正直なところだ。
 ただ、この「分からない」というのがいかに大事かを最近感じる。分かるものだけ触れていくのではなく、その時は分からないが触れておくという体験はかけがえのないものかもしれない。木下先生が僕には理解できないローネを教えてくれた。それが、10年、20年たって分かるかもしれないが分からないかもしれない。いつか、分かったとき、分からなかった時も含め、それは大事な大事な財産になってると思う。ローネはそんな大事な分からないことの1つとして、分からないままでいる。

     鳥取県西部よりローネ愛を込めて

〔追伸〕

鳥取は恐らく憲政史上ローネが存在してない地域。ローニストの皆様、是非是非ローネを担いでお越しください。。

画像3

画像3



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?