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置き去りにされたもの

Paris郊外にあるグランダンサンブルを見にノワジールグランに。 

Grand Ensemble / グランダンサンブルとはフランスが戦後の住宅不足を補う為に50年代から80年位までにParis郊外に建設した公共住宅で数百万世帯に対応する建物群だ。

ノワジールグランの他にもParis郊外の様々なエリアにこの都市計画の為に建てられたビル群はあるが、友人から昼であっても非常に危険なエリアだという事を聞き行くことを止められた。(後に分かったが、ノワジールグランも決して安全な場所では無かった)

駅を降りてすぐに目に飛び込んで来たのが駅に直結したビルのファサードの独創的なバランスだ。そこを通る者を吸い込む様に開かれたアシンメトリーなビルの同線が立体的に作られている。質感、重量感が80年代風だが、そこに刺された色彩が非常にその風貌をモダンにしていた。

駅から真っ直ぐに続く道を進むとそこには自分が想像した事のない形状の巨大な円錐を切り取った様な建築物が向かい合って建てられていた。Les Arenes de Picasso / レザレンドピカソだ。まるで何かのモニュメントの様な形状だが、そこを埋め尽くす窓には生活感が剥き出しの消して美しいとは言い難い姿が透けて見えていた。汚れた窓、古びたカーテン、落書きされたファサード、閑散とした巨大な中庭、そのどれもがこの巨大で圧倒的な建築物と結びつかない。本来この様な建築が時間を経て導かれる姿とは違う、自分が想像する”あるべき姿”に繋げられない。しかし人から忘れられてそうなったのではない。現在もほぼ全ての部屋が使用されており、逆に生活感は溢れ出していた。

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IMG_5093のコピー

この街は街路地にしても街灯にしても細部にまでデザインされている。モザイク状に小石を積み上げて作られた壁ひとつにしても石の色一つ一つを選んでグラデーションが表現されている。途方のない時間をかけた美しい作品だ。が、この壁にしても誰の目にもとまらず誰にも意識されないまま長い年月を経て来たような印象を受ける。街のいたるところに目を見張る技巧や表現が施されているが、それを見る観光客もそれを学びに来る学生達の姿も見えない。

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街の反対側に位置するビル群の端に今回の本当の目的である、Espaces d'abraxas / エスパスダブラクサスは建っていた。中庭に降り立った時の感覚は今まで見たどの建築からも感じた事のない圧力と畏敬の念を強制的に引き出された様な感覚だった。それは感動というよりも敬意の様な宗教で言うところの尊厳の様な感覚だ。
閑散とした庭は昼でも危険を感じる緊張感がある。貧困が生み出す独特の刺すような空気がその巨大な建築物を更に非日常なモノに変えていた。

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またガラスで覆われたアーチ状に作られたビルが、前にそびえる高層ビルをより高尚な姿に見せている。あまりの圧力に言葉が出てこない。逆に言えば言葉を発してはいけない様な荘厳さがそこにはあった。

ただこの巨大で荘厳な建築物も住む者の生活感と近代化の拒絶によって生まれるような孤立感に包まれていた。窓からは干された毛布が垂れ下がり、チグハグな色のカーテンが半開きになった窓から揺れて見えている。それは自分が子供の頃見た公団住宅の景色に似ているのだが、人々が集まる所に生まれるあの温かみのようなものは抜け落ちている。また建設当時に掲げられた未来に向けた純粋なビジョンが人々の記憶から忘れ去られてしまったような感覚を覚えた。

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そこで浮かんだ思いは、ここに住む人々はこの建築物の持つ魅力やこのデザインが放つ力をどれだけ享受できたのだろう?というものだった。デザインというものは何かを常に便利にするものではない。敢えて不便なディテールや造形がそれに慣れる過程でユーザーとの間に特別な繋がりや関係性を生むものだってある。ただ常にそのベースにあるのはユーザーのデザインに対する愛情であったり尊敬であったりするものだ。ただここにいるとここに住む人々がこの建築物に対するそのような感情があると思えてこなかった。つまりデザインを受容しようとしたり、その中にあるハードルを越えようとする意思が存在しない為にデザインが作り手のビジョンとともにそこに取り残されている様だった。

作り手の思いは十分に汲み取れる。でもそれがユーザーに届かない場合または理解されない場合、モノはただ古びて行く。それは都市も同じなのだと思う。人の手や思いが重なれば歳を重ねて美しくなり、一方それがなければ古び、忘れられて行く。Parisのガイドブックでグランダンサンブルについて掲載されているのを見たことがないし、またParisに住む友人に薦められた事もない。ただこの建築群は忘れ去られるにはあまりに魅力的であまりに純粋だと自分は思う。そしてグランダンサンブルに住むひとりでも多くの住人がここに住むことの尊さや楽しさに気づける事を願わずにはいられない。

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