一般財団法人佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団に関わるにあたって
(長文になってしまいました。お読みいただけると幸甚です。)
一般財団法人佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団のFacebookページに招待させていただきました。
「いいね」をしてくださった皆さん、ありがとうございます。
https://www.facebook.com/sakuhomachijena/
僕がなぜこの計画に関わっているのか、何をしようとしているのか、ということをいくつかお伝えします。
1.昨夏、中川綾さんを通じて麻雅幸さんと出会いました。
麻さんがお勤めの株式会社グローバルキッズの中正雄一さんが、小学校を設立する計画をお持ちだ、ということを中川さんから聞きました。
2.同じ時期、本城慎之介さんから岩瀬直樹さん苫野一徳さんを発起人として、軽井沢に幼少中一貫校の設立を始めることを聞きました。本城さんと僕の出会いは2003年の今頃の季節でした。僕はその時27歳でした。この日のことはまだ覚えていて、「僕、将来学校つくりたいんです」と話をしました。http://blog.onbetsu.net/mt/2003/05/19/post.html
岩瀬直樹さんに出会ったのは2006年頃。「こんな学校つくりたいね」という話をしました。
3.中川綾さんと出会ったのが2009年10月。「こういう学校を作りたいんです」「それオランダでやってますよ」「マジですか」「マジです」という会話が出会ったその日にされました。
2009年の12月には中川さんちで岩瀬さんをはじめ、何人かの仲間とEducational Future CenterというNPO法人を設立することになります。(法人登記は2010年4月)
月に1度開催している「先生の学校」を始めたのもこの頃。
4.2011年3月12日に、「オランダでやってるそういう学校(イエナプラン学校)」を見に行く予定でした。でも地震が来て、飛行機は飛ぶ予定だったけど、オランダに行くのはやめて石巻に行くことになり、プロジェクト結の活動を始めました。オランダには2012年の5月に岩瀬さんや桑原昌之さん、伊垣尚人さんたちと訪問することができました。牛と話したり、こぶし大の肉団子を食べたり、毎日いろんなことを話して楽しかったな。「こんな学校を作りたいよね。」という話をずっとしていました。
5.こんな背景がありまして、本城さんは温めていた構想と計画を一気に実施するステージへ突入。土地を買い、校舎を建てるところからのスタート。楽天大学チームビルディングプログラムでは、事務局としてアテンドしてくれた元楽天社員の小川佳也さんが風越学園のスタッフとして動いてくださっているのも心強い限りです。風越学園が開校するまでは、おそらく僕には出番はなくて、開校してから何かしらの企みを共にすることになるんだろうな、という感じです。
5.一方、イエナプランの小学校はご縁があり、佐久穂町の旧佐久東小学校の跡利用ということで校舎を買わせてもらえることになり、準備財団を設立、中正さんの個人資産の寄付を受け、つい先日佐久穂町と売買の仮契約を締結したところです。風越学園は「土地を買い、校舎を建てる」ところからのスタートですが、佐久穂イエナプランスクールはすでに公立小学校として使われていた建物を使っての開校準備です。といってもこれから内外装の改修や修繕が必要になります。旧佐久東小学校の閉校は2012年でした。
6.僕は一般財団法人軽井沢風越学園設立準備財団・一般財団法人佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団ともに、役職はありませんが関わりはあります。イエナプランスクールは「ファシリテーター(地域づくり担当)」というポジションをゲットできたので、文字通り(学校を中心とした)地域づくり、を進めます。カリキュラムマネジメントの設計とか、認可申請の手続きをウォッチしながら、「教科学習(教室・学校)と教科外学習(地域・社会)を繋ぐこと」にはどんな仕掛けや環境が適しているか、ということを考え実行する、というのがこのポジションの役割です。そもそも大日向地区の子供の数が減ったこともあり、現佐久穂小学校が統合されてできた、という経緯があるので、移住者を増やすという取組や移住希望者が移住しやすい住環境(住まいや仕事)を整える=地域づくりにもチャレンジできる、というポジションです。楽しそうだな。大変そうだけど。面白そうだな。困難だけど。役に立てるといいな。そもそも認可されないと学校も始められないんだけど。
7.しばらくは本城さんや岩瀬さん、苫野さんから「おーい、アキラ、これやるんだけどどうかねえ」と声がかかるまでは、佐久穂町の大日向地区にある校舎を、ナイスな場所にすべく動く、という日々が当面は続きそうです。風越学園は2020年4月開校予定、佐久穂町は2019年4月開校予定。(まだ小学校の名前は決まってないんです。なので『佐久穂町イエナプランスクール』が学校名になるかは未定。あくまで準備財団名、というスタンスです)
どちらも長野県の「私学審議会」というところで審議をしてもらい、長野県と国に「学校を始めていいですよ」という認可をもらえないと開校できず、かつその認可申請の機会は1回だけ。なので2年以上の時間をかけてじっくりとかつガシガシと進めていくのです。
準備財団が設立された=学校ができた、のではないのであります。
準備財団が設立された=学校をつくる準備を法人として始めることができた、ということなのです。
8.そんなわけで、これからもよろしくお願いします。
おまけ
なぜ学校をつくりたいのか、ということを佐久穂町JS設立準備財団の関係者と話す時に書いた「僕のなぜ」がこちらです。
1.「私はなぜイエナプランスクールを設立したいのか」
①20の原則を体現することが、「幸せであること=Well-being」に繋がるから。
②自由な人(大人も子供も)と友だちになりたいから。
③自分自身で答えを見つけることの喜びと楽しさを伝えたいから。
④あらゆることを一緒に考え学び続けたいから。
僕自身のことを知ってもらうために、2015年に受けたインタビューと2016年に受けたインタビューを御覧ください。
2015年のインタビュー
https://an-life.jp/article/694
2016年のインタビュー
http://lifestory-gallery.com/archives/1988
僕は25歳、社会人2年目、体験学習を提供する会社で働いていた頃に、「将来は学校を作りたいな。」と漠然と考えるようになりました。
http://www.paa21.co.jp/
でも、到底そんなことはできないだろうな、と思っていました。
まわりにそんなことを公言する人はいなかったし、まさか自分にそんなことができるとは思わなかったし。
2003年に風越学園を設立する本城さんに出会って「学校を作りたいんです」と話して意気投合しました。
彼が楽天を辞めた直後。
でもお互いにまだ「夢物語」だったです。
2009年10月4日に中川綾さんに出会って「学校を作りたいんです」と話して意気投合しました。
彼女がアソビジを設立した最初の年。
この頃には「どんな学校を作りたいか」というビジョンが自分の中でずいぶん明確になっていました。
そのビジョンを語っていたら、中川さんはこう言いました。
「それって、オランダのイエナプランですね。」と。
超ショック。2つの意味で。
1つは自分が考え出した理想の学校が、「自分だけが思いついた」と思ったらもう先を越されていたというひとりよがりなショック。
2つは自分が考え出した理想の学校が、ほぼ80年前にドイツで生まれて60年前からオランダで実践されたというポジティブなショック。
その後、中川さんと様々な活動を共にしていく中で、「学校を作りたい」という気持ちが当初より薄くなってきました。
当初、2011年くらいまでは「学校を作る」ということそのものがゴールになっていました。
その学校で過ごした子供たちがどんな世界を担うのかということには考えが及ばず、「どんな学校生活を過ごすことが良いのか」「どんな教育方法で教育活動を進めればいいのか」ということばかりに着目するあまり、「学校生活後の子供たちを取り巻く社会への子供自身の向き合い方」、つまり「この学校を作ることが社会にどんな影響を及ぼすか」という意識が希薄になっていたのです。
愚かですね。学校を作ればいいと思っていた。
でも彼女といろんな活動(特に震災関連のプロジェクト結の活動)を通して、「学校」というのは、特に小学校というのは地域社会の拠点なんだ、ということを実感するようになります。
そして、数多くの教員研修などを通じた教職員の先生方との交流を通じて自分が本当に成し遂げたいことに気づきます。
3年ほど前でしょうか。
「ああ、僕は学校を作りたいわけではなくて、
①20の原則を体現してwell-beingを実感したいんだ
②自由な人(大人も子供も)と友だちになりたいんだ
③自分自身で答えを見つけることの喜びと楽しさを伝えたい
④あらゆることを一緒に考え学び続けたい
をしたいんだよな。」
やりたいことが明確になったので、「学校を設立することそのもの」にはこだわらなくなりました。
それよりも20年後30年後50年後100年後の社会にどんなインパクトを与えられるか、そのために自分が何をすべきか、ということにこだわりを持ち始めています。
そんなタイミングで、去年の夏に本城さんから「いよいよやるよ、今始めないともう間に合わないから」と声がかかり、時を同じくして中川さんから「あきらくん、イエナプランの小学校が作れるかもしれない」と声がかかりました。
まさに学校設立バブル。
正直に打ち明けると、僕は「イエナプランのモデルスクール」であることに強いこだわりを持っていません。
でも、「20の原則を体現すること」については強いこだわりを持っています。
「日本で生まれた新しいイエナプランのモデル」にはなりたいと思っています。
でも「オランダのイエナプランを忠実に再現したモデル校」には強いこだわりを持っていません。
そして「風越学園に関わること」についてもこだわりが全くありません。
あちらはすでに長年に渡って本城さんが温めてきた明確なビジョンと、資金と、岩瀬さんや苫野さんといった「タレント」が揃っています。
まあ、特に僕の出る幕はないかな、と思っています。
風越学園のウェブサイトの「情景」には「風越学園が社会にどんなインパクトを与えることになるか」は情景として(まだ)描かれていません。
いま描かれている情景は、「学校の中」で起きていることが中心です。
でも、佐久穂に関しては、「どんな社会にしたいのか」ということと「どんな学校にしたいのか」を同時に成し遂げるチャンスがあると思っています。
中正さんが手がけてきたグローバルキッズの事業も、嫉妬を覚えるほど「社会にインパクトを与える事業」で、まだ中正さんや麻さんとはじっくりゆっくり対話はできていないけれども、これまで取り組んでこられたことに大きな敬意を持っています。
すげえ。
いま集まったメンバーも、「これからの社会をどうしていきたいか」ということに立脚したうえで、「地域社会の拠点となる小学校はどうあればいいのか、そのためのカリキュラム、そのための運営スタイル、そのための事業評価はどうあればいいか」を議論・対話できるメンバーです。
だから僕も「社会にインパクトを与える事業」として新しい学校の中に診療所をつくったり「地域づくり」の拠点となるような学び舎をつくりたい、という強い欲求があります。
かくして僕はなぜイエナプランスクールの設立に関わりたいか、というと僕自身のこの4つの強い欲求を満たしたいから、というのが回答です。
①20の原則を体現してwell-beingを実感したいんだ
②自由な人(大人も子供も)と友だちになりたいんだ
③自分自身で答えを見つけることの喜びと楽しさを伝えたい
④あらゆることを一緒に考え学び続けたい