スクリーンショット_2020-01-08_20

【井口 晃 起業物語2009年 Vol.4】

———————————————————
顧客が欲しいものを提供し続けろ!
———————————————————
年が明け、2009年になっても
怒涛の勢いは続いた。

自分の経営哲学として、
商品に惚れるな、
顧客が欲しいものを提供するというものがある。

多くの経営者が陥るのが
自分の商品に惚れすぎて、
この商品なら絶対売れると信じ込み、
大ゴケするというパターン。

僕の場合はいつも、
見込み顧客が何で悩んでいるか、
今のお客さんがどんなこと困っているのか、
理想的にはどうなりたいと願っているのかを考える。

お客さんをその悩みから救い、
理想の状態にさせる手助けをする、
その最適な手段を商品化し提供する。

これだと売れないわけがない、
サクセスユニバーシティー、
プレミナムマスターマインドと
高額なプログラムにも関わらず次々と売れた。

もちろん、参加者は満足し、
どんどん成果を出してくれた、
参加者が起業して成功したり、
目標を達成することに何よりやり甲斐を感じていた。

決算も2年目を迎え、年商1億円を超え、
粗利率も6-7割、
社員も4人にまで増え、
青山にオフィスを構え、
自分の中では怖いものなしという状態だった。

ただ、まだ安定した経営状況ではなかったし、
そこで満足は全然していなかった、
次のステージに早く行きたいとむしろ焦っていた。

また当時付き合っていた、
モデルをしていたイギリス人の彼女と同棲を
開始したのものこの頃だった。
———————————————————

1000万円の自己投資!
———————————————————
比較的、お金と時間の余裕ができたので、
もっと成長しようと、
積極的に海外のセミナーに
アメリカやオーストラリアに
出かけるようになった。

ただ、経営者が現場を離れると、
スタッフを管理するのが難しくなり、
スタッフのやる気を出させたり、
落ち込んだら励ますなど、
経営とは別のスキルも要求された。

英語ができ、
海外で本場のコーチングやマーケティングを学べるのは、
自分だけにしかできないことと信じていたので、
自己投資は惜しまなかった。

2日で100万円というセミナーにロス郊外に出かけ、
何人かパートナーを連れてきて良いと言われたので、
その当時知り合った、
原田 翔太や瀬川 丈さんと一緒に行ったりもした。

自分が一番成長したのは、
こういう最先端の情報や知識を
すぐに現場で実践する環境があったからだ。
多くの人がセミナーに行っても、
それを活かせないのは、
今までと同じ環境で新しい知識を実践しようとするから。

本当に人生やビジネスを変えたければ
自らがいる“環境”そのものを変えることで
必要な知識やスキルが明確になり
それらを身につける必要が出てくるのだ。

またその後は海外で学んだマーケティングや
コーチングのスキルをドンドン実践し、
今までの古いやり方から脱却し、
売上は倍々ゲームに伸びていった。

また初めて訪れたバリ島である不思議な経験をした。ガイドに連れられ、いくつかの寺院を歩いて回った。そこで、3体の不思議な仏像をみた。


中央に大きな仏像、両サイドにそれに従うように小さな2体の仏像がたっている。ガイドによると中央が破壊の神様。両サイドに立っているのがそれぞれ、創造と守護の神様だという。バリ島では、破壊の神様が一番偉いそうだ。創造は、破壊の上に成り立っているのだ。

自らの人生や会社でも破壊と創造を
繰り返していかなければいけないと再確認させられた
ハッと気づかされる瞬間だった。

またその年には
アメリカでNo.1と言われるコーチの
マスターマインドに入会し、
手が震えながらも書類にサインをした。

旅費やホテル代などを入れれば
年間1,000万円がかかる計算だが、
自分もそのようなマスターマインドをすれば元は取れるだろうと、
アツく感情を高ぶらせながらも、
冷静にリスクとリターンのバランスを計算していた。

自らにプレッシャーをかけ、
毎月ノルマを自ら背負い、
目標達成に挑んで行った。

まさに戦っている相手は自分自身だった。
当時のスタッフには相当厳しかったので悪い事をしたと思うが、今考えると本当に必死だった。
まさに、独走時代だった。

このまま何事もなく、
右肩上がりの成長を続けられる
順風満帆な日々が続くと信じて疑わなかった、
ある事件が起きるまでは・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?