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「世の中」と「自分」との距離のハナシ #私と世界

先週創刊した「日刊noters」が二週目に入りました。週替わりのテーマで曜日担当達が徒然に綴る本企画。改めまして火曜日担当のアキラです。

#テーマ確認

そういちろう君が設定してくれたテーマは「私と世界」各担当はこの文言に対して自分なりの解釈で立ち向かいます。

先週のテーマ:「私の履歴書」
今週のテーマ:「私と世界」

#私と世界

月曜担当のそういちろう君は「海外(esp:China Tech)」という意味で世界を切り取りました。自分は「世の中」という観点で世界を切り取ってみたいと思います。

「世の中」というと幅広い言葉ですので、自分自身が世の中をどう捉えているのか。どんなスタンスで世の中と向き合いたいと思っているのか

を徒然と書いてみます。

#世の中とは

自分を含め多くの人が「世の中」と向き合う時って、何らかの「評価」と紐づけている気がしています。「一般社会」という意味ではなく、特定の誰かや集団を意識して「世の中」と向き合っているなと。

一例を挙げると

1、仕事 :上司の評価、クライアントの評価、マーケットの評価
2、友人 :仲の良し悪し、イケてるイケてない話、いじめなど
3、商品(作品) :口コミNo.1、アカデミー賞受賞作、知人の評価の高低
4、パートナー :「彼氏に嫌われたくないから黙ってる」「これやったら怒られるかも」等々

※親子関係、特に親の愛情が唯一評価から解き放たれているのではないかと思っています(例外が無い世の中であって欲しいという願いも込めて)

多くの場合人は他者からの評価にさらされますし、評価をする側に回ることもあります。

今時(2012年ぐらいからか)の論調だと、

「そんなの、評価経済に生きてるんだから当たり前だろ!」

という声も聞こえるのかもしれませんが、自分はそうは思わないので #私と世界 というテーマでこの事に言及するわけです。

(世の評価と戦った人の代表なんじゃ無いかと思うのが、ジョンレノンさん)

#評価との距離

自身も多くの過ちを犯し、大勢の人に多大なる迷惑をかけ、今ここにいます。なので、評価から完全に解き放たれたわけではもちろんないです。ただ、少しずつ気づき始めているのは下記の感覚です。

「評価からの解放」
自分は世の中とはある面で断絶していて、評価から解き放たれたいと思っている。非連続でありたい。

「解放からの再評価」
評価から解き放たれると、世の中には自分の本質的な価値(在り方)を買ってくれる人がいることに気付く。

「他者評価が自己評価へ」
上記の再評価が単なる他者評価の獲得に留まらず、自己評価=自信に繋がりはじめる。在り方を評価される経験を通じて。

「自信獲得チャンスの連鎖」
そして、それが連鎖し連続する。最近、セレンディピティみたいな世界は一定存在しているなと思えたりしています。

こんな感じでしょうか。初めて文字化したので自信ないのですが。別のnoteでも書きましたが「Having」「Doing」「Being」の違いなんだとつくづく思います。再掲します。

「Having」:結果。通常の評価。誰でも評価しやすい。
「Doing」:行動。評価側のレベルが問われる。評価者にもリスクがある。
「Being」:存在。「共にいれること」への評価。親の愛はここ。

まだまだ、Beingって難しいなと思いますけどね・・・。

#最後に

どこまでも書けてしまいそうなテーマなので、今回は短いですがここまでとしようと思います。書いてみて思うのは、本当に自分の人生ってつい最近まで多くの人の目を気にして、評価を得ようともがいてたなーと思います。そりゃ息苦しいわ。

陳腐に「自分らしく生きようぜ」と言いたいつもりは実は全然なくて、一生懸命、精一杯やっているならそんな自分を評価できるスキームはあってもいいんじゃないかということ。強者の立場から言うのではなくて、そこは寄り添いたいなという意見表明でした。

最後にジョンレノンの名言を紹介して、終わりたいと思います。

人の言うことは気にするな。

「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」

こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人はやりたいこともできずに死んでいくのだろう。

根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることである。


ということで、次回は5時こーじですね。よろしゅう!


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