見出し画像

シットパンツ

 可奈は上半裸の聡を見つけた。彼の左脇にはサッカーボールが抱えられ、快活な笑顔で誰かと話していた。可奈にとって聡は誰とでも無邪気に仲良くなれる人間のように思えた。そう、誰とでも、あの怪しい日本人とも。
「お、かなちんじゃん」と聡が可奈に話しかけた。
「その呼び方やめろ」小柄な可奈は体格を気にさせない威勢を放った。
「なんでだよ、別にいいだろ、かなちん」
「まじうざい」
「てか何そのパンツ、変な色だな」
「ほんと失礼なやつだな、ビーチバレー用のウェアです」
「かなちんビーチバレーやるの?絶対ネット届かないじゃん」
「うっるさいわ、ほんま。飛ぶだけがバレーやないねん」
「リベロとかセッターとか?」
 会話に割って入ってきた健に可奈は驚いた。
「そうです、私リベロなんです」と出来るだけ平静を装って返した。
「リベロってなんかかっこいいよね」と健が穏やかな口調で答えた。
「リベロってなに?」と聡が尋ねた。
「守備専門の人みたいな?小さくても活躍できる守護神的な役割、だよね?」と言って、健が可奈の方を向いた。
「そうです。一応トスも上げたりします」
「かなちんすごいじゃん、てかグリーンパンツになんか書いてあるよ。Shit pants?シットパンツ履いてるやん」
「はぁまじでうざい、こいつ。私出かけてきますんで」
 そう言って可奈はその場を去った。
「おうじゃぁなー気をつけろよーシットパンツー」
「行ってらっしゃーい」
 可奈は後ろでサッカーを再開した二人を振り返った。白く焼けたコンクリートの上で汗をかく二人は美しく見えた。

 翌る日、可奈はまた二人を見つけた。
「おうシットパンツ、おはよー」
「かなちゃんおはよー」
「朝から失礼なやつだな。健さんおはよう」可奈は左右の顔で異なる性格を表した。
「シットパンツってなんだっけ?」と健が聡に聞いた。
「かなちんのあのパンツだよ」
「あれそんなにひどいか?俺緑好きだから良いと思うけど」
「ですよね、わかる人にはわかるんですよ。お前も見習えシットサトシ」
「いや全然うまいこと言えてないからな」と聡が迎撃した。
「パンツの悪口は許せるけど、人間性の否定は良くないと思いまーす」と健が茶化した。
「人間性否定してないわ。ところで今日は何するんですか?暇じゃないですか?」
「めちゃひま。でも静江が書道やるって言ってたから一緒にやろうかな」と健が答えた。
「え、あの子習字セット持ってきとるんですか?」と可奈が尋ねた。
「筆と墨だけらしいけど、持ってきたらしいよ」
「楽しそうですね」
「あとあれだ、夜は向こうの香港人にヘナタトゥーしてもらう代わりに夕飯作らなきゃいけないんだ」
 健は自らのコンテナとは反対の方角を指差して喋った。
「全然暇ちゃいますやん。めっちゃ休日楽しんでる」
「そうかな。あ、そういえば、来週末はみんなでヌーサに行こうって言ってるんだけど、かなちゃんも行かない?」
「行くっす!めっちゃ行きたい!」
「オッケー決まり!8時ごろには出るから準備しといて」
「はーい」

  コンクリートの照り返しがピークに達した頃、コンテナが作った日陰では、書道教室が開催されていた。一同がはしゃぎながら思い思いの字を綴る姿を、可奈は少し離れたところから見ていた。そして、目撃した。健が八重子の腰に手を回すところを。
 巻き上がった土煙とコンクリートの照り返しが可奈の視界をオフホワイトに染めた。可奈が正常な視界を取り戻すと、健がまた嬉々として書を認め始める姿が見えた。八重子はその姿を正面から食い入るように眺めていた。可奈は居た堪れない気持ちになって厨房へ向かった。
 厨房では可奈のルームメイトの台湾人が袋ラーメンを茹でていた。可奈は彼女の肩に軽く体当たりをしながら何を作っているのか尋ねた。
「It's a Korean ramen! Very spicy one.」
「I'm lovin' it.」と答えながら、可奈は自らの涙腺が緩んだのを感じた。
「what's happening? Are you crying?」
「No! Just this ramen damaged my eyes! Don't worry!」
 可奈はそう言って外のベンチに逃げ出した。
 可奈のルームメイトは、ラーメンを作り終えると、それを片手鍋に入れたまま厨房の外に出た。そして、ベンチの上で両膝を抱えている可奈の横に座った。
「You love spicy ramen, ain't you?」
「I love.」可奈は答えた。
「So why you look so sad.」
「I don't know.」
「Come on, you've been my sunshine, and I wanna be the same to you. Please let me hear your voice.」
「… I had my heart broken, maybe.」
「Oh… that man with round glasses, isn't it? Did you make sure that there wouldn't be any chance?」
「No, I didn't. But I saw another girl got closer to him.」
「Is she his girl friend?」
「I'm not sure yet, but maybe yes.」
「You still like him?」
「Sure.」
「Then, you have to make sure who she is, otherwise you can't go anywhere.」
「… I agree with you, totally. Thank you, my sunshine.」
「No worries, Kana. You my sunshine! I'm gonna eat this lovely spicy ramen in cafeteria.」
「Alright, see you later.」

 可奈はしばらく一人でベンチに座っていた。流れ行く雲の隙間から太陽が眩しく輝いた。そしてまた雲が太陽を覆い隠したとき、可奈は立ち上がった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?