二年目の始まり

 タスマニアでの第二の青春期を経て、私は恋人と二人の友人と共にオーストラリアの内陸を目指すことになった。
 オーストラリアでは内陸の不毛の土地をoutbackと呼んだ。そこには先住民であるアボリジニや野生生物、古い大陸の大地そのものが文化を形成していた。

 outbackを目指す前、そのメンバーに帰国予定の一名を加えた思い出旅行が企画された。それはタスマニアのさらに離島のマライア島への小旅行であった。
 車の侵入が禁止されたこの島には、橋もかかっておらず、船でアクセスする他なかった。自然保護の最も厳粛な地域でもあり、島内を徒歩や自転車で回りながらバードウォッチや自然散策をすることがメインアクティビティであった。沿岸には有名な景勝地があり、侵食と風化が岸壁に木目模様を作り出していた。
 私たちはこの島で一泊し、ウォンバットの四角い糞が転がる広場で、海から立ち上る天の川を共に眺めた。やはり私はここでもご飯担当を担っていた。

 涙の別れの後、私たちはフェリーでメルボルンへ渡った。都会での一泊を経て、空港に向かった私たちは規定範囲外の大荷物を持っており、600ドルもの追加料金を支払った。outbackで新たな生活を企てていた私たちは飛行機で引っ越しを行うようなものだった。バックパッカーと呼ぶには市民的で、一般人と呼ぶには奔放すぎた私たちの旅路には障害が多かった。

 エアーズロック空港に降り立った私たちはレンタカーを借りてウルルを目指した。当時はまだウルルに登ることができたが、強風の日はゲートが封鎖される仕組みになっていた。この日は登れる気候ではあったのだが、ゲートの横には「アボリジニは観光客がウルルに登ることを快く思っていない」という旨の看板が建てられており、私たちは登らずに周囲の散策を行うことにした。
 ウルルはアボリジニにとって神聖なもので、神話を生み出す源泉となっていた。自然が生み出した岩の模様をモチーフに生み出された神話の説明がウルルの周囲に読み物として配置されており、それらを見て回った。ハチドリと邪悪な蛇の神話、赤子を抱く老婆の神話(この形が美しいハート型に見える)、贖罪の炎に燃やされる蛇(撮影禁止)などがあった。一周を回るには四時間が必要で、炎天下の砂漠に恐れをなした私たちは、一時間ほど進んで引き返すことにした。
 道中、アボリジニとは別の物語を私と恋人は作り出していた。アリの巣状に抉られた岩壁を眺めながら我々の将来の住処に想いを巡らせ、無数のカエル型の岩を見つけるととある漫画の修行者たちの成れ果てを想像した。

 身だしなみに不釣り合いなレストランのテラスでポルチーニだけのパスタを食べ、行きがかりに見つけた雑貨屋に立ち戻り、気になっていたオーバーオールを試着した。以前からオーバーオールを探しており、旅先で財布の紐が緩んだ私は、燻んだベージュ色のコーディロイ生地でできたそれを購入した。
 私はこのウルル周辺の観光客向けに構成された街で、初めてアボリジニに遭遇した。彼らは黒人と黄色人種との間の肌色を備え、大人は一様にチキンレッグと呼ばれる胃下垂して膨れた腹に細い足を携えていた。子供も含め、多くのアボリジニが彼らの伝統工芸であるドット絵で彩られたスポーツウェアを着込んでいた。

 テントサイトで一泊したのち、プールで暑さを紛らわせて、我々は次の目的地に向かった。そこはアリススプリングスというウルルから最も近い都市で、我々は仕事と住む場所を得る算段を立てていた。
 手分けして情報を探し、しっかり者の友人がシェアメイトを探している物件に連絡をとっていた。各々の働き口も探している間、我々はマジカルなヒッピーグッズに囲まれたドミトリーで過ごした。
 運良く、三人が一緒に暮らせる物件が見つかり、さらには車まで貸してくれるオーナーであることが判明し、我々は即決した。一緒にここまで旅をしてきたうちの一人は、日本に帰り復学することが決まっていた。

 我々が住むことに決めた家のオーナーは日本人で、電気工の仕事をしていた。当時のオーストラリアの移住制度は、政府が求めている職業につき、企業からビザを発行してもらいながら滞在して、職種と勤労期間、さらには学歴などによって付与されるポイントが閾値に達すると、永住権が付与される、という仕組みだった。
 彼には息子がいて、詳しいことは聞かなかったが、近くで別々に暮らし、奥さんの話はしたがらなかった。週末になるとギャップと呼ばれる、街の周囲を囲んだ岩山の狭間に繰り出し、荒野を一望しに連れ出してくれたり、ギターを教えてくれたりした。オンラインでギターレッスンをしているようで部屋から時折、誰かと話す声が聞こえた。

 初めて砂漠(正しくは乾燥帯のステップ気候らしい)に暮らした私は心のうちにざわめきを感じていた。まるで心の潤いをなす微小な粒子が熱と乾燥によって一つずつ蒸し出されていってしまうような心持ちがした。
 この絶妙に落ち着かない気持ちを抱えたまま、私たちの新しい生活が始まった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?