再領土化
これまで初めての海外渡航から異国での農業生活及び共同体の崩壊について綴ってきた。しかし、この文章の本来の目的は、現代哲学の力を借りて、過去の根無草的な生活を肯定し得るか、その挑戦であった。
ここで、断片的に伝えるに留めてきた、あの旅の目的を明確にしておこう。それはバリスタの修行をすることであった。しかし、この目標は設定当時、置かれていた環境から逃避するために用意された即席の目標であった。つまり、十分に吟味され練られたものではなく、言葉だけが浮き足立って、実際に私を豪州の地まで運んでしまったのであった。
ワーキングホリデー協会の担当者が言った「目的を最後まで忘れないこと」という忠告が痛み入る。そう、私は空虚な目標を掲げ、名ばかりの目的に向けて日々を費やしてしまった。帰国後は豪州での時間を無駄にしてしまったような感覚に囚われ、自暴自棄になっていた時期もあった。なんとかしなくてはならないと思っても、体が思うように動かず、心と体のバランスが崩れていた。結果、酒やタバコに逃げ、過去の人間関係も自ら破壊してしまった。それでも私の話を聞き続けてくれた人々に感謝を、無目的に批判してしまった人々に謝罪を述べたい。
あの旅の行いを肯定するには、まずは当時の状況を正しく把握し、間違いがあったとするならばそこから教訓を見出し、また、良い経験があったならばそれはそのまま受け止め、明日を照らす光にでもしようと思う。
まずは、目標設定当時のことを振り返ってみよう。当時私は山奥のキャンプ場で働いていて、田舎の社会に溶け込もうとしていた。懇意の地元民も増え、食にも職にも困らない人間関係を築き上げていた。けれど、だからこそ、私を悩ませていたのは、私が最終的にはこの土地とは異なる自身の出身地において、飲食店を開業したいと夢見ていることとのジレンマであった。いつかは離れるこの土地に骨を埋める覚悟を私はできなかった。さらに、飲食店の開業にしても口先ばかりで、具体的な計画はなく、コーヒーを飲み歩き、高級豆を家で抽出し、味の研究をする趣味程度の活動しか行っていなかった。カッピングイベントに参加したりもしていたが、やはり趣味の範疇を出るものではなかった。けだし、モラトリアムを引き摺り、何者かになる覚悟を決められていない時期だった。あるいは、単なるカフェイン中毒だったのかもしれない。それでも次なるアクションを起こさなくては、どうにもならないと思った私は、当時憧れていたバリスタや多くの日本人バリスタがオーストラリアやカナダで修行していたことを知り、渡豪を決意した。無謀な挑戦であった。けれど、私を止める人間はいなかった。私の挑戦を見せ物のように楽しむ間とそもそも関心など抱いていない人間と厄介払いできて清々した人間がいたのだろう。かくして、カフェインで筋書きされた淡い人生設計図に従って、渡航計画が実行された。
そうして辿り着いた異国の地での数ヶ月については、ここまで書き残してきたところではあるが、簡単に振り返ってみよう。まずは、語学学校と民間の学生寮に在籍した一ヶ月間をメルボルンにて過ごした。これは当初の予定通りで、バリスタとして働くには英語力が必要で、メルボルンはカフェの多い街で有名であったため理にかなっていた。誤算というか、杜撰であったのは、自身の英会話力やバリスタとしてのスキルが本場で働くためには全く力不足であったこと、そのことを真面に調査しなかったことであった。一ヶ月あれば仕事を得られると高を括っていた。結果として仕事は決まらず、さらに言えば、真面に仕事を探した時間はほんの数日で、あとは遊び呆けていたので、決まらないことの方が自然であった。授業料を納めた期間の終了が迫り、このままメルボルンで学生寮に滞在しながら仕事を探すか、他の道を模索するか悩んだ私は、ファームへ行くことを決意したのであった。それは、自身の能力と資金不足を鑑みての決断であった。
そして、辿り着いたファームでもやはり誤算及び杜撰は続いた。英語を使って働く環境に飛び込めば否が応でも英語力を向上させられ、資金も貯められるだろうと考えていた。しかし、そこにはアジア系のワーカーばかりで、英語の会話はあまりなく、むしろ日本語の方が通じるような環境であった。その他に飛び交う言葉も広東語やマンダリンであった。さらに、ファームへ行った時期も悪く、すぐには仕事が始まらなかった。始まってからも過酷な肉体労働と果実の争奪戦の中で、思ったように稼ぐことは難しかった。送迎ドライバーやオリエンテーション役を買って出ることで、なんとか貯金を増やしていたが、その環境も暴力によって瞬く間に崩壊してしまった。
かくして、杜撰な計画に誤算が重なった前途多難な旅路が始まった。それでも、多国籍の人間が集まる環境に飛び込んだことで、微々たる英会話力の向上と、幾ばくかの資金を蓄えることができた。それらを携えて、私はオーストラリア第三の都市ブリスベンへ向かった。ファームで苦楽を共にしたルームメイトもこの街に滞在する予定であったので、随分心強かったことを覚えている。メルボルンでは叶わなかったシティジョブの獲得に向けて進み始めたのである。