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坂の多いまち 其の一

 坂の多いまちだった。
 中央の駅から長い坂を登って街を抜けると、公園の中を突っ切る長い階段が現れる。これを足の裏に汗をかきながら登ると、私が部屋を借りた町に辿り着く。
 部屋といっても、一軒家の一階の一室を四名が共有する形で、週に一二〇ドルの家賃であった。二階には共有のキッチンやダイニングがあり、三階には一階と同様な仕組みで女性たちが暮らしていた。シャワーはそれぞれ一階と三階の部屋に備え付けられ、一階には小ぶりなテラスがあった。私はよくそこで陽を浴びながら背筋を伸ばした。
 部屋の中には大きな八枚の鏡が備え付けられ、引き戸になったその鏡を開くと収納が現れた。鏡に向かって並べられたベッドの合間には自立型の収納ラックが配置され、心許ない私的空間を作り出していた。
 玄関を出ると、通りは緩やかな勾配の坂道になっていて、これを上ると大きな公園の通りにぶつかった。道のはずれには紫色の花を携えた並木が町に彩りを添えていた。
 公園内を貫く長い階段の途中には、蟻の巣状に踊り場が配置されていた。その中にはベンチやゴミ箱、街灯が配置され、このベンチでは愉快な友人に会うことができた。それは目を真っ赤にした黒人の集団であったり、ゴミ箱の余り物を狙うポッサムであったりした。
 公園は北西に広がっていたが、この日の私は南東に向かって長い階段を下り、信号を渡った。街に続く坂を下りながら、私は高揚する気持ちを宥めていた。新生活が始まる胸の高まりは私の頬を緩めた。初めて来る街ではなかったが、部屋を借りて職を探すことになった今となっては、この街はそれまでとは異なる印象を私に与えた。これほど多くの人間がこの街に暮らしていたことを私は初めて認識した。観光客気分から変わって、この街の一員としての役割を私は探さなくてはならなかった。できることならこの街でバリスタとして働きたい、そう思っていた。

 ブリスベンに移り住む前、小旅行で訪れたバイロンベイという街で、理想的なバリスタに出会った。
「よう、観光かい?」小さな路面店で店番をするそのバリスタは、三人組のアジア人を明るく出迎えた。スキンヘッドに口髭を蓄えたアイコニックな装いの男で、カウンター越しにそれぞれの注文の品を手渡すと、彼は表のベンチに出てきた。適当に会話をしていると、彼はフランス出身で母国でもバリスタをしていたことがわかった。そして、このカフェでは8年近く働いているらしかった。ここのオーナーとは懇意だが、そろそろ他の国に住んでみたいというのが彼の願望のようだった。私がいずれ日本でカフェを開きたいと告げると、ぜひその時は雇ってくれという話で盛り上がった。冗談半分ではあったが、その時私は改めて、自分がバリスタに成ることの先に、自分のカフェを経営することを夢見ていることに気がついた。それと同時に、このようなコミュニケーションを初対面の人間と交わせるバリスタを理想像として描くようになった。

 居心地の良いカフェとコミュニケーション能力の高いバリスタ、それらを求めて、私はブリスベンの街で仕事を探していた。
「仕事を探しているんだけど、今募集しているかな?」そのような簡単な問いを店頭のバリスタに投げかけて店を回った。多くの店では、「私じゃわからないからマネージャーに渡しておくよ」と言われて、レジュメを受け取ってもらえたが、その紙の行方はわからなかった。
 街中には国際的なコーヒーショップと共に個人店と見受けれられる店も散見された。いくつかのカフェに数日かけて通い、連日胃もたれを起こしていた。
 街中の店を巡り尽くした頃、収納ラックを挟んだ隣人がディッシュウォッシャーの仕事を紹介してくれた。家からはやや遠く、バスで二十分、自転車で四十分程度の距離であったが、オーストラリア人と同等の賃金が設定されており、週四日は働けるということで魅力的に思えた。私は一度現地に赴き、詳しい仕事内容を聞くことにした。その店は魚屋とシーフードレストラン、さらにバーを併設した複合的な飲食店であった。最初は副料理長を名乗る日本人が対応してくれた。
「英語いける?」軽く問いかけられたその言葉に、最初の関門を感じた。
「はい、魚の名前と調理器具の名前、覚えてきました」
「いいね。週四日で皿洗いの仕事がメインだけど、体力的には大丈夫そう?」
「日本で飲食業の経験もありますし、クライミングが趣味なので、体力も大丈夫だと思います」
「OK、じゃあ採用担当者呼んでくるから、いくつか適当に英語で質問されると思うけど、普通に答えられれば問題ないよ。頑張って」
「ありがとうございます」そう答えると、私は浅い呼吸を繰り返して、担当者の到着を待った。店のロゴを胸に掲げ、黒い衣服に全身を纏った欧米人の女性が、こちらを凝視しながら私の前を横切っていった。その女性のスレンダーながら妙に釣り上がった臀部を目で追いかけていると、正面からコックコートを着た欧米人の男性が声をかけてきた。肩幅の広い骨格に逞しい筋肉を張り巡らせ、両腕にはフィッシャーマンを思わせるトライバルタトゥーが配われていた。
 私が彼の腕に見惚れていると彼が何か言った。
「Hey! Are you listening to me?」
「Oh, sorry. I love your tattoo. You said Alex? I'm Ken. Nice to meet you.」
「Glad to meet you, mate. You love fishes?」
「Sure, actually my favorite one is octopus although.」
「Nobody cares, it's also kind of seafood. Alright, let me ask some questions.」
 先に日本人シェフに問われた内容とほぼ同じことを問われて、インタビューは終了した。別れ際に握手を交わすと、彼の肉厚の掌で私のそれはほとんど見えなくなった。

 数日後、あの飲食店の従業員を名乗る女性から電話があった。電話口での英語をうまく聞き取ることはできなかったが、来週から働いて欲しいという旨は理解できた。とりあえずの食い扶持を確保する必要があった私は、この仕事を受けることにした。ネイティブスピーカーと対話し、仕事を得られたことを私はとても誇りに思った。この感動を誰かと分かち合いたくて、私は元のルームメイトに連絡をした。セントラル駅の正面にある、アイザックスクエアに集合すると、我々はあのファームライフを過ごした日々のように、二人で並んでタバコを喫んだ。仕事が決まったことを報告すると、彼は私以上に喜び、祝ってくれた。
「やったじゃん、ガッツリ稼げそうじゃん」
「せやねん。あんなに必死にイチゴ獲ってたのが阿呆らしく思えてきたわ」
「マジでファッキンストロベリーだよな」
「あぁノーモアストロベリーだぜ。とりあえずひたすら皿洗って金貯めるわ」
「賄いは出るの?」
「売れ残りの寿司を貰えるらしい」
「最高じゃん」
「毎日寿司三昧だぜ。聡は今何してるの?」
「彼女と毎日イチャイチャしながら主夫みたいな生活してるわ」
「似合わないなぁ。彼女は船で働いているんだっけ?」
「そうそう、ネイティブと話したくてやってるみたい」
「素敵じゃん」
「でも毎日辞めたいとか言ってる」
「聡には甘えたいだけでしょ」
「何がしたいのかイマイチわからないんだよな。日本帰っても続くのか分からんわ」
「まぁ人生いろいろだからな。いつ帰るんだっけ?てかビザはいつまでなの?」
「セカンドビザの申請が拒否されなければ、ブリッジビザのままあと三週間だね。そしたら帰国して就活だわ」
「そっか、忙しくなるな。彼女も一緒に帰国するの?」
「いや、彼女はしばらくこっちで働いてから帰る予定」
「なるほど。その間に冷めてしまわないといいね」
「まぁこればっかりは風まかせだわ」

 翌る週、私は乗り捨てが可能なレンタサイクルを利用してブリスベンの中心地から北東に二十分ほどかけて通い始めた。郊外の開放的な商業施設の中にその店はあった。寿司屋と魚介類の販売店、さらにバーを備えたその店には日本人とインド人、ネパール人が働いていた。彼らを束ねるのは、青い目を輝かせるオーストラリア人たちであった。
 私は十時にその店に行き、仕込みを始めているキッチンスタッフの洗い物を預かりながら、甲殻類の仕込みも請け負った。食洗機を回している間に、指定の個数のロブスターを解凍し、解凍を待つ間にまた食洗機を回し、洗い終わった調理器具や皿を所定の位置に戻した。ロブスターの解凍が終わると、その背にナイフを入れて縦に真っ二つに割り、内臓を取り除いてソースを詰めた。生きていた頃の痕跡を失ったそれらを冷蔵庫に納め、調理台を掃除した。食洗機を回していると、ボスから適当な頼み事をされ、ボディランゲージを駆使してなんとか意思疎通を図り、業務をこなした。店が閉まると、床をブラシで磨き、水気をとって、ゴミを捨てて、一日の業務を終了した。これが私のこの街での仕事になった。
 仕事終わりには一杯のビールを飲むことが許されていた。私はよくインド人とグラスを交わした。異文化の結婚観や家族観、仕事に対する価値観を聞くことは私にとって意義のあることであった。日本に居た頃は、無意識に植え付けられたそれらを自身の信条が如く生きていたが、それらは決して私が自ら選んで決めたことではなかったし、正面から見据える機会もないままに懐中に忍ばされていた。
 とりあえずの仕事が決まり、私の生活は微かに潤い始めた。家賃や給与の支払いが週払いの多いこの国ではあったが、魚屋の支払いは二週間に一度であった。最初に支払われた給与は、自身の不手際による残業代も加算され、二千ドルを超えていた。当時のレートで十七万円ほどになる計算だった。週四日、一日約九時間稼働でこの給与は私にとっては十分すぎる額であった。しかし、肉体的には決して楽な仕事ではなく、水仕事のため、手荒れなどにも悩まされた。
 ある日、休憩中に日向のベンチで手の皮膚を乾燥させながら甘い菓子パンとオレンジジュースを飲んでいると、長身の黒人に話しかけられた。アボリジナル柄のスポーツウェアに身を包み、赤い眼差しを向けてくる彼は、私にチャック付きのポリ袋に入った錠剤を売りつけようと試みていた。彼の目には、私が薬に逃げたいほど、今の生活に不満を抱いているように映ったのであろうか。確かに、当初の予定よりも長い道のりを歩き始め、目的を達するために習得しなければならないことの多さに目が眩みつつはあったが、乱反射する情報の中を私は自我を保って日々を費やしているつもりであった。仕事終わりにネット配信されているアニメを余り物の寿司とビールを共に眺めることで、私は十分に、目標を達成できぬ自身の無力さや現実に存在する目には見えない障壁や足枷から逃避することができた。そしてまた目を覚ますと、色濃く香り付けされた空気で固定された世界で、私は皿を洗った。
 赤目の黒人を適当にあしらって、私は職場に戻った。水に濡れた緑色のフロアを私は大きすぎる白い長靴で間抜けな音を立てて歩いた。
「おい、洗い物ばっかしてないでこれ手伝ってくれ!」日本語の大きな声がした。私は自分の仕事ぶりを低く評価されたような気持ちになり、無愛想に返事をした。
「どれですか」
「俺がこれをパットに入れていくから、ラップしてけよ。で、店を閉めたらその時も全部ラップして扉閉めて帰れ」
「うっす」私は彼がやるべき業務を押し付けられているような気持ちがした。私はその総合格闘家のような体格の中年の日本人からパットを受け取ると、欧米人規格の作業台に備え付けられたラップロールからその先端を引き出し、死んだ魚介類の鮮度を保った。
「おい、それじゃ全然ダメだよ。よれよれじゃねぇか。もっと力入れろよ」
 私はアウトドアスポーツを通してそれなりに体を鍛えているという自負があったため、非力として扱われることに抵抗を感じた。さらに、この簡単な作業をうまくこなせない自分の情けなさを、目の前の高すぎる作業台が増幅させた。
「すいません」私は自分の声が震えたことに驚いた。
「なんだ、怒られたと思ったのか」
「いえ、大丈夫です。ちょっとコツが掴めなかっただけです。締めの作業の時はしっかりラップしときます」私は深呼吸をしてからはっきりとそう言った。
 その日の帰り道、私はカブルチャーで仲良くなった日本人から譲り受けた、お気に入りのキャップを落とした。ナイトクラブの前で騒ぐ地元の若者を横目に、私は通勤路を戻り、キャップを探した。結局キャップは見つからず、私は公園で涙ぐみながらその日本人に詫びのメッセージを送った。
 慣れた環境を離れる時や新しい環境に飛び込む時、私は平常を装うが、それは却って内心を乱してしまうことがよくあった。そして、その時にはよく大事なものを無くした。

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