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自分にとっての大事なものってなんだ??〜死に間際編〜

こんばんは
あきらーめんです。
今回は「もしも余命1週間なら、何をするか」をテーマに考察していきたいと思います。
誰もが一度は考えたことがあるんじゃないかなと思うこの内容について今回も深掘りしていきたいと思います。

————目次————
・はじめに
・知的好奇心について
・3大欲求の中で
・まとめ
・最後に
————————

・はじめに
僕が生活する中で、重要視していること何かと考えました。
その答えとしてあげられるのが、「知的好奇心」と、「空腹を満たす」の2つです。
今回はこの2つに絞って考察していきます。
そして、余命1週間を宣告されるタイミングは何歳の状況か想像もつかないので、ここでは仮に40~90歳くらいのどの年齢でも突発的に宣告される状況をイメージして考えていきたいと思います。


・知的好奇心について
まず僕が日常生活で大事にしていることは知的好奇心です。
初めてのモノ、コト、ヒト全てにおいて自分の枠外から起こることに対して柔軟でかつ積極的に取り込んでいきたいと思っています。
その理由は自分自身の今までの「生き方」にあります。
以前noteに記載したように僕は転勤族出身です。
明日降り立つ土地での常識が、今までの常識と違うという生活を経験してきました。

方言などがわかりやすい例です。徳島では「自転車」と呼んでいたものが、海を渡り三重県の鈴鹿市では「ケッタ」という得体の知れない名前に置き換わるように自分の当たり前が当たり前でなくなることを経験したからです。

そしてもう一つあげると、同じ場所に10年も20年も住み続ける方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は平均3年くらいで住まいが変わる生活を過ごしてきました。


これはあくまでも、僕の「生き方」です。僕の人生は変化することが当たり前であり、その変化を怖がるのか、それとも楽しめるかで自身のモチベーションが変わってくるのです。

人間の本能としては得体の知れないものに対する恐怖が勝るようにインプットされていると聞きますが、僕は変化しないことで新しい土地で順応できない自分の方が怖いのです。

だから新しいものに対する知的好奇心は失いたくありません。
いつでも新鮮な気持ちで新しいことにトライできる状態の自分こそ、自分が求めている自分像です。



・3大欲求の中で

3大欲求である食欲、性欲、睡眠とどれも人間として欠けることはできない行為ですが、この中で自身の知的好奇心を大きくくすぐるものはどれかと考察した時に、一番は食事なのかなと感じます。
余命を告げられた際でもかならず、食事と睡眠は行わないと持たないです。
なので、自身の中での定義としては睡眠が「安息」であるなら食事は「刺激」だと考えます。


刺激的な食事をする機会として、わかりやすい例は旅行だと考えます。
旅行先など距離が離れれば離れるほど、常識が覆され、結果として自身が触れたことのない味覚に出逢うからです。
そしてそれが自身の知的好奇心を鷲掴みするかもしれないからです。
僕は過去に唯一行った海外旅行がベトナムでした。
そこで食べたパクチーは強烈でこんな変わった味の食べ物があるのか!と驚きました。
(一緒に行った友達はこんな食べ物食べられるかとも言っていましたが…笑)

そして、最近の趣味としてスバイスにハマっています。
余談ですが、スパイスカレーなどスパイスにハマるのは女性よりも男性の方が10%ほど割合が高い模様です。(https://www.nrc.co.jp/report/pdf/150821.pdf NRC「日本人の食」調査より)

これは、刺激を求めるのが男性に多いからなのでしょうか??
興味深いです。



・まとめ
ここまで考察し、死ぬ間際まで刺激を求めているかというとおそらく答えはNOだと思います。
余命1週間となった際に自分が満足できるような新しいことができるような状態ではないと思われるからです。おそらく寝たきりだったり会話ができないような状態なのかなと思います。少なくとも海外には行けないと思います。

だとすると自身が出す結論としては余命1週間は普段と同じように過ごしていると思います。
しかしながら、その時にやりたかったけどできなかったことがあるといろんなやりたかったことに押しつぶされるのかなと思います。

今回考察することで、今までの経験の集大成が余命1週間には詰まっているのではないかと感じました。
テスト勉強で例えると、しっかりとテスト勉強を終えて、何もすることがない人と、何も手がつけておらず、焦って1週間テスト勉強をする人の違いかなと思います。

なので、今できることはしっかりやり通すことが重要です。


そうなると、普段何気なく生きている1日の集合体が自身の人生です。
どれだけ有意義に過ごせているかが重要になってきます。

僕は「いつ終了しても悔いがない後悔のない人生だった」と言いたい。


今日できることを明日に回す行為は自分の刺激的な知的好奇心をくすぐるひと時を自らドブに捨てる行為となるわけです。
時間は誰しも平等。ですが、時間の使い方は変わってくると思います。

20代でできること。
30代でできること。
40代でできること。

自身の健康も体力も何もかもが均一であればいいのですが、そうではありません。
死に近づくにつれて今が一番「若い」のです。行動量でいくと一番動けるのが「今」なんです。


・最後に
自分らしくあるために、今目の前に起きている課題があった場合に、それをどれだけ乗り越えるスピードが速いかで後悔はグッと少なくなると思います。

・人生後悔ばかりだったか
・人生悔いがなく充分満足だったか

人生の最後の瞬間にどちらの自分でいたいのかを考えれば後悔を選ぶ人はいないでしょう。
後悔のない人生だったといえるためにも今の自分に何ができるのか?

まずは今日1日を通して悔いがなかったと自問自答するところから始めたいと思います。少しでも悔いがあるならその小さな悔いが大きな悔いに変わるからです。

僕は忘れっぽいので、しっかりとメモをとって優先順位をもって普段から行動していきます。

また次回お会いしましょう!!
あきらーめん

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