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思い出を通してお近づきのコーナー

思い出を通して、私の(事)世界観をシェアしながら皆さんにお近づきするといコーナーです。

今回は
幼馴染コンプレックスのお話となります。

先日↓のつぶやきを投稿しました。
コンプレックスというワードが、寂しいとか、後悔というような意味合いを漂わせたかなと投稿した後に思いました。

私のいうコンプレックスは、「ブラコン」とか「マザコン」のような
溺愛、崇拝、憧れの意味合いで呟きました。

幼馴染
その定義の多数は、「幼い頃から仲がいい人、あるいは物心ついた時からの顔馴染み」だそうです。そして、今現在も交流があり、仲が良い関係性に人は最もこの定義がしっくり感じるとネットに書いてありました。

我が家は引っ越し族だったので、私には幼馴染はいない、ということになります。漠然に幼馴染がいたらいいなぁと思ったこともあるけど、随分大人になってから、幼馴染みコンプレックスというか、幼馴染みフェチが芽生えたように思います。

それは、幼い頃から仲が良かったわけではないが、私が19歳ぐらいの時に出会った友達で、今も家族のような付き合いがいる人が何人かいる。彼らはどちらかと言うと、「いとこ」のような存在であり、兄弟ではないけど、友達以上である。

長い月日で培ってきた、あうんの呼吸、許すとか許さないとかを超えた、
気取らない信頼感が好き。沢山の暗号に溢れていて、合図や合(愛)言葉がお互いの間に散漫している。それが好き。優越感を感じる。忖度なし、計算なし、深読みなし、ただ単に、慣れ親しんだ好きな仲間たち。

もちろん、言えば赤の他人で、ただの友人、心底ガッカリさせるような事ばかりすれば離れて行ってします間柄、でも私の理想的妄想の中では、そんなことさえも超越するような仲が幼馴染という思い込みがある。

「幼馴染のような」立ち位置の長年の付き合いがある特別な友人を、できれば正式に幼馴染という格別な存在として登録したい.…そんなヘンテコなこだわりがある。大人になってから出会ったから幼馴染というタイトルが定義上もらえない。だから、私はいつも由緒正しい、定義に沿った、本物の幼馴染が欲しくてたまらない。

色んなことが幼馴染という名目でパスされる、ちょっとなーなーな間柄。少し馴れ馴れしい、距離感の近い、ちょっかいをだしてなんぼな友達。

友達以上、家族未満、時には恋人未満なのか、そんな特別なクラブに私は属したいと心底思う。

私は同級生がタイプであり、同級生派なのは、同じ星の条件で生まれた特別なクラブに属しているからだと思う。それは幼馴染コンプレックスの理由と良く似てると思う。幼馴染という特別枠のクラブに憧れている。

私は完璧な「風」タイプの人間で、ハチドリのようにあっちにこっち勝手に飛び回る自由人であると同時に一族意識もかなり高い。パラドックス。
わけわからない、自分でも。

同じくネットに幼馴染は異性を指す場合が認識の上で多いと記してありました。説明としては漫画などで、幼馴染の間に芽生えるラブストーリーが理由とあり、ちょっと笑いました。幼馴染がいないので経験はありませんが、これには何となく共感できる気がする。

定義的には幼馴染ではありませんが、長年の付き合いがある異性の友人といるときは、同じ条件の女友達とは違う感覚がある。私の場合ですが、いわゆる、彼らが得意とする男性的長所、例えば車に関してだったり(運転を任せる)とか、収入がダントツに上なので、そういう面で甘えさせてもらうとか、力仕事で頼ったりなど、ごく自然にそんなオファーを素直に受けられのが心地よい。ただの異性の友達の場合、このようなオファーは遠慮したりで必ずしも受け取ることができないのが決定的な違い。

しょーがねーなぁ〜
いいよ、任せとけ〜
みたいな一言に特別クラブの会員感を感じてほっこりする。

申し訳なさゼロな間柄が幼馴染の特権だと思う。勝手な解釈ですがね。

幼馴染のような友達はいるのでガッカリしてはいないけど、

永遠に幼馴染が欲しいと私は憧れ続けると思う。というか死ぬまで言ってるとほぼ確信している。

唯一猛烈に欲しいものの一つ、それが私にとっては
幼馴染という存在。

何故なんだろうね。
きっと理想的な幼馴染との人生が楽しかったのかな、過去性で?

愛と光を込めて、アイラブユー❤️
AKIRAでした。

トップ画像はノート仲間のユハコちゃん作です。



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