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それぞれの折り目

本日より2024年も下半期。
朝、気が狂いそうなくらいの頭痛で、起き上がっても目も開かず、吐き気もしてきたので、お仕事を休むことにした。
夕方になっても、頭痛は取れず、麻酔でも打ってもらって半日くらい寝たままで痛いと思うくらいだった。

私は、9月に開催する展示を区切りに、展示の企画や運営、出展を一旦辞めるつもりでいる。
写真自体を撮ることは続けていくと思うが、依頼を受けたりもないと思う。
そういうことを考えていた私への、遊さんからの展示の誘いで、彼女もひとつの区切りを迎えようとしていた。

遊さんから、写真を続けていくか分からない、と聞いて、なんとも言えない気持ちになったのを覚えている。
ひとが、どのタイミングで、何にひと区切りをつけようと、止める権利は無い。というか、止めるとか、無責任なことはできない。

区切り、という言葉は少しお堅い。
展示のタイトルは、いつものように類語だかなんだかを調べて、「 折り目 」とした。
私の、微かな希望や、マイナスな意味だけにしたくない、という思いも込めて。本に折り目をつけたら、いつかまた、読み進めようと思うかもしれないから。

来廊してくれたみんなから、これで暫く展示はやらなくなるんだっけ?と質問されることが多かった。
9月が最後ですよ〜とヘラヘラしていたが、9月、私はどんな気持ちで写真を、展示をやっているんだろうか。分からない。

遊さんも、「女の子100人撮ります!」という企画を、やっとこさ終えようとしていたタイミングだった。搬出しながら、あとは明日ふたり撮って終了です!レタッチはありますが、、、と言っていた。
展示に来た人たちが、あ!女の子100人撮っている人ですか!?と言っていたのが面白かった。
それだけ、他の写真家にとっても、尊敬するようなことをやっているんだと思う。遊さんは。

一週間くらい前に、一度、体調不良で倒れてしまった遊さん。
展示中はそんなことを1ミリも思わせないような振る舞いで、むしろ、体調不良の私を気遣ってくれて、さすがだなぁと思った。

展示中に、お客さんがいないタイミングで、撮影した女の子たちの名前をメモしたノートを見せてもらった。100人の女の子たちの名前を、マーカーとペンを使って、綺麗に書き連ねていた。遊さんはこれを書きながら、自分を鼓舞しているんだろうと思いながら、一緒に見た。

7月になった。

呑気に私の展示の告知をしていたら、遊さんが、企画が倒れ展示が無くなるかもしれないという旨を投稿していた。
事の成り行きは、少し聞いていたが、SNS上で謝罪している遊さんを、励ます言葉は私には見つからなかった。
遊さんは私よりもいくつか若く、だが、私よりもかなり長く写真をやっており、一つひとつの依頼や企画に真摯に向き合う人だということは分かっていた。だからこそ、言葉にならない、なんとも言えない気持ちになった。

これも、「 折り目 」なのだろうか。
折り目というには、とてもじゃないが、悲し過ぎて、やるせなくて。

メインビジュアルにした、遊さんが試し撮りしたハーフフィルム。遊さんが撮る花は、キラキラした女の子たちのようで、明るくて、優しくて、女の子たちを輝かせる遊さんらしいと思う。

展示していた写真一つひとつ、すべてが遊さんらしく、私が大好きな遊さんの作風で。被写体さんがアイスを食べている写真が印象的だった。

今年の春は、暑かった。

私も、私の「生活」に戻る日が近づいている。
遊さんも、楽しく写真がしたくて、写真で苦しみたくなくて、「生活」を大切にしたかったんだと思う。だから、私から言えることは無い。

それぞれの「 折り目 」。

遊さん、一緒にご飯でも行きましょう。
苦手なものが多いと思うから、遊さんの好きなものを。
仲の良いみんなで、お酒を飲んだり、カラオケに行ったりしましょう。
歌わずにゴロゴロしていて良いので。

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