見出し画像

フチじゃなくてエンの方。

取り壊しになる祖母の姉の家に行った。
写真を撮りに。

親戚のおじさんが、写真撮るの好きなんだったら、と、昔のデジタル一眼レフを貸してくれた。
望遠レンズつきで。
一緒に、祖父が自費出版した歌集も出て来たから、と、受け取って来た。

ひとの縁とは不思議なもので、私は、祖母の姉に会うときにおじさんとは顔を合わせたことは無かった。

祖母の姉は、脚が悪かったので、家の中でもバギーを押していた。
もう歩けないわ、と言いながら、バギーを忘れてゆっくりと歩くこともあった。

耳が遠いので、テレビの音量がすごく大きかった。
耳が潰れるかと思うくらい。
生前、近所からクレームがあったらしい、おもろい。

食べることが大好きだった。
だし巻き卵を買って行ったら、四切れあったはずが、私が口にする前に三切れ無くなっていた。
そんな祖母の姉が、愛おしくて、祖母の代わりのような存在だった。

東京の笹塚にも、タヌキは出るらしく、庭にタヌキが出た、なんて言っていたこともあった。

私が文章を書くことが好きだとは、おじさんにも、母親にも伝えなかったが、祖父の歌集の表紙を眺めるだけで泣きそうになった。
作家になりたかった祖父と、生前、その話をしたことはない。
離れに書斎があったのは知っていた。

ねぇ、じいじ。
じいじにも、私の写真や文章を見てほしいよ。
私、看護師になったんだよ。

隔世遺伝と言うと大袈裟だが、私は、家系の中ではじいじによく似ていると思っている。
顔も、性格も。

一度だけじいじと散歩をした記憶がある。
近所のお茶屋さんに行った。
私は、抹茶のアイスクリームを食べた。

じいじは、私が小学1年生の冬に亡くなった。
もう20年も前。
写真の中のじいじは、小児科医らしからぬ無愛想な顔をしていることが多いが、たまに私に笑い掛けていた。

もう少し、長生きしてくれても良かったのにね。

子どもの頃、本の虫だった私は、文章を書くことも嫌いではなかった。
いつの間にか、活字離れという若者らしい生き方をしてしまったが、フォロワーが書く短歌や詩、文章は好きだった。

私は今、文章を書いている。
頑張って、短歌も、詠んでいる。


燃やした煙草の灰で死に至る
焼けた紙についたインクは残る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?