【店主のひとりごと】10
私の社員時代(20代前半)の話です。
Lから始まる大手コンビニチェーンに就職した私は東北事業部と仙台オフィスが2階にあった「仙台大梶店」での研修からスタートしました。
研修中に昭和天皇が崩御され、店頭看板の電気と店内のBGMを消しながら、ひっそりと営業した夜(夜勤でした)を、今でも覚えています。
その後、約1ヶ月ほどの研修を終え、店長代行として「仙台新寺小路店」に赴任しました。
当時は店の隣にバイクのパーツやグッズなどを扱う「南海部品仙台店」があり、休憩中や仕事帰りに覗きに行っていました。南海部品の店員さんもよく当店に買い物に来てくれてました。
その当時のローソンはフランチャイズのオーナー店はごくわずかで、社員が2名常駐する直営店がほとんどでした。
その後、徐々にオーナー店が増えていき、直営店の社員がオーナーになったケースもあったようです。かくいう私もその当時、オーナーにならないかと誘われた経験があります。
その、新寺小路店で印象に残っている出来事は、消費税(3%)が初めて導入された日のことです。
導入直前は、消費税を節約したいお客様が大勢来店され、それは夜中の0時まで続きました。
しかし、ドリンク(その当時はペットボトルはなく缶が主流)や菓子などはメーカーがこぞって3%分を値引きした値段に変更したため、それらの商品は実際の消費税の負担がありませんでした。
またその当時のローソンはPOSレジが導入されてなかったので、ラベルという値段のシールが商品1点1点に貼られていました。その値段変更で商品ラベルを張り替えるという途方もないアナログな作業が、0時以降に待ち受けていました。
例えば、100円のジュースを97円に変更するという作業です。
午前0時から朝方まで、値段のシールを剥がして、ハンドラベラーという機械で「ガッチャンガッチャン」とシールを貼る作業が延々続きました。今では考えられませんw
さて、ローソンに就職して6ヶ月を過ぎた私に突然、店長就任の辞令が下されました。
赴任先は「国分町二丁目店」。ご存知の通り国分町といえば東北屈指の繁華街。店の斜めには凱旋門ビルがあり、元鍛冶町公園のすぐ近くという、国分町のメインストリートではないものの、いわゆる飲み屋街のど真ん中でした。
しかし若いというのは恐ろしいもので、その当時の私は「この店を東北一の店舗に」とかいう変な気をおこして頑張るのでした。
続く。
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