【店主のひとりごと】19
店主のアキラです。
いつも投稿をご覧いただきありがとうございます。
私が岩手・一関に住んでいた時の話です。
2001年に岩手・一関に来た私は、仕事や子育て、PTA活動、渓流釣り、ワカサギ釣り、山菜採り、詩吟の稽古などに励む合間に、ジャズ喫茶巡りにハマりました。
仙台でジャズというと、「ストリートジャズフェスティバル」が頭に浮かびますが、一関でジャズというと、ジャズ喫茶「BASIE(ベイシー)」が浮かびます。
一関市には、ベイシー(JBL・米)、ロイス(タンノイ・英)、もりそん(ジンガリ・伊)という3ヶ所のジャズ喫茶があり、この3軒(特にベイシーとロイス)を、はしごしていました。
カッコ内はスピーカーのメーカーで、それぞれいい音を奏でますが、やはりベイシーの音とマスターの存在感は特別でした。
ベイシーのマスターは菅原正二さんといい、私が初めて店を訪れた時は、店内でドラムの練習を一人でしていました(菅原さんはドラマーでもあります)。
私の存在に気づき、ドラムを叩くのをやめて、コチラを見たので「いいですか?」と聞いたら、「まだ早いな」と言うので、「ではまた2時(午後)ごろに来ます」と言って、いったん帰ろうと店のドアを開け店の外に出ました。
しかし「2時ごろではあいまいだな〜」と思い引き返し、「すいません、さっき2時ごろと言いましたが、2時以降にまた来ます」と言ったら、「いいよ、どうぞ」と言って、コーヒーを出して、レコードをかけてくれました。
菅原さんはステレオサウンドや朝日新聞などに連載をもつ文章家でもあり、書籍も何冊か出しています。
レコードをかけている合間に、定位置の円卓の奥に座りモンブランの万年筆で原稿用紙に向かっている姿をよく見かけたものです。
ある時、円卓に座って菅原さんと雑談をしていたら、急に真剣な表情になり「そんなことより世界の話をしよう」と言った時のことをたまに思い出す。。
この店でのエピソードはさまざまありますが、特に印象に残っているのは、ドラム奏者のジミー・コブが来日した時のライブでしょうか。
ジミー・コブは、マイルス・デイヴィス・クインテットのドラマーとしてアルバム「カインド・オブ・ブルー」の録音に参加しております。
ジャズの名盤中の名盤といわれる「カインド・オブ・ブルー」に参加した他のメンバーは以下のそうそうたるメンバーです。
マイルス・デイヴィス(トランペット)
ジョン・コルトレーン(テナー・サックス )
キャノンボール・アダレイ(アルト・サックス)
ビル・エヴァンス(ピアノ)
ウィントン・ケリー(ピアノ)
ポール・チェンバース(ベース)
その時のジミー・コブ(トリオ)のライブは本当に素晴らしく、今でもその光景とドラムの音色は脳裏に焼き付いております。
一関を離れる一昨年の2月に、ベイシーに行って来ましたが、営業はしておらず、音もなっていませんでした。
先客がいましたが、約1時間ほど菅原さんと話ができたので、一関のいい思い出となりました。
その時に話したのは、アートブレイキーの音源が見つかってレコードになった話と映画「麻雀放浪記」の話、ワカサギ釣りの話、競馬の話でしたw
私は「麻雀放浪記」を書いた阿佐田哲也(色川武大)さんの小説が好きで、若かりし頃、全部読みました。
直木賞作家の色川さんが菅原さんを慕って一関に移り住んで、約1ヶ月後に亡くなった話は後から知り、衝撃を受けたものです。
色川さんの遺品は一関博物館に所蔵されており、以前行われた展示会は素晴らしいものでした。
ジャズ喫茶ベイシーは、コロナ禍や娘さんのこともあり、しばらく休んでいますが、早く再開してほしいものです。
※菅原さんの書籍(3冊)と関連本(1冊)が当店にありますので、借りたい人はお気軽に。ちなみに「麻雀放浪記」もあります。
続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?