明暗

組織のモチベーション(8)「東芝と日立の明暗を組織論で考察する」

 あなたがプランナーで、共同体化してしまった企業から、それを打ち破るような新事業アイデアの提案を依頼されたら、どのように対応したら良いでしょうか?

 結論から言うと、組織のモチベーション(1)に書きましたように、共同体組織では、革新的な事業アイデアは成就しません。特に、会社の業績が横ばい状態で、社内の空気が内志向になっている場合は、表面上、採用されたように見えても、現場の抵抗で動かなくなります。

 あなたの勤めている企業、またはクライアント企業が、どの程度共同体化してしまっているかを、まずは確認しておく必要があるのではないかと思います。

 共同体組織には、以下のような傾向があります。
(そして、これをもとに、東芝と日立の組織的な違いを考察したいと思います。)

① なんだかんだ言って年功序列

 共同体では、従業員の居心地の良さを追求するあまり、内部競争はなるべく避けようとします。次にあのポストに就くのは、あの人だよねと言う不文律ができていて、サプライズ人事はあまりありません。そして、組織のためにポストを作るのではなく、ポストを作るために組織変更が行われたりします。(特定の人の幸せ>組織の効率)
 年をとれば偉くなれるという典型的な年功序列ではないにしても、定番の出世コースが決まっているような企業は、共同体化が進んでいます。

② 組織内に情報の壁を作る秘密主義

 共同体は内部に仲間意識の強いグループ(所謂派閥)が生まれ、仲間の利得を最大化するという内的目的が強くなります。そうすると、そのグループ内部が持つ情報を秘匿し、自分達の利得のためだけに使おうと考えます。また、仲間の失敗はなんとか隠そうと、情報操作をしたりもします。
 機能体では、トップが全情報を把握して外的目的を達成しようとしますが、共同体では、トップでも核心的な情報は全てを把握し切れずに、現場が情報をコントロールしています。

③ 選択と集中ができない総花主義

 共同体では、現場が強い上に、どの部署にも気を使うため、総花主義になって、集中投資ができなかったりします。来期に使える経費の申請が、役所と同じように前年比で決まるため、期末にせっせと経費を消化しているような企業は共同体化しています。
 機能体は、目的達成のために選択と集中を行い、必要なところへ必要な投資を行うのが原則です。その代わりに予算を削られて犠牲になる部署が出てきても致し方なしと考えます。一方、共同体の組織変更では、人の幸せを第一に考えて、犠牲者が出ないことを重視します。

 共同体組織の上記3つの傾向が、組織にどんな影響を及ぼすのかを、具体例を元に考察してみたいと思います。

例にあげるのは、東芝と日立です。

 東芝と日立は、電機業界の名門としてしのぎを削りあい、どちらも高度成長期を支えた伝統的大企業です。しかし、ご存知のように、低成長時代の企業変革に失敗した東芝は、2017年3月期、国内製造業過去最悪の1兆100億円の赤字で、経営破綻寸前までの経営危機に陥っているのに対し、日立は2017年3月期に2312億円だった最終利益を、2年後に4000億円超にすると強調するほど、着実に右肩上がりの実績をあげています。

 東芝も日立も、企業体質は共に保守的な印象ですが、2017年4月16日発売のAERAの記事によると、企業文化は、東芝が「調整力」が幅を利かす「お公家さん」に対し、日立は武骨に「技術」を信じる「野武士」軍団と言われているらしいです。東芝の方が「調整力」をもとに、官公庁と親密な関係を築いていたことも、共同体化しやすかった要因の一つかもしれません。

 共同体組織が持つ傾向の具体例として、東芝の凋落の原因と日立復活の要因を見ていきたいと思います。

① なんだかんだ言って年功序列 の事例

=東芝半導体事業=

 東芝は1980年代にDRAMという半導体製品に集中投資し、世界を席巻していました。当時は東芝の方が、思い切った選択と集中を行う攻めの企業だったという印象があります。しかし、DRAMは海外勢にジリジリと追いやられて、2001年には撤退することになってしまいます。

 その間、舛岡富士雄氏を始めとする何人かの技術者は社内で、はみ出しエンジニアと見なされながらも、1987年に発明されたNAND型フラッシュメモリをコツコツと開発していました。ところが、DRAMの成功体験者である東芝半導体事業の幹部は、DRAMの開発、製造にこだわり、それを否定するようなフラッシュメモリの開発体制整備を拒絶していたと言われています。(NHK『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』(2017年)より)

 そして1992年、フラッシュメモリの価値を軽視した東芝半導体事業の幹部は、市場を1社で牽引することは難しいと判断し、サムソンに基本特許を供与してしまいます。「調整力」を重視し、「技術」を信じ切れなかったのかもしれません。その後、サムソンはフラッシュメモリに巨額投資を行うのですが、肝心の東芝は巨額の資金投入に躊躇して、サムソンにトップシェアを奪われてしまいます。

 半導体は、トップシェアであるかどうかで大きな差が出ます。発明者であり、初期開発者である東芝がトップシェアの恩恵を受けなかったのは、ビジネス的に大失敗なのですが、それは舛岡氏が訴訟を起こすまでは、誰も気づきませんでした。

 当時、東芝の半導体事業の意思決定層は、DRAMを牽引していた人たちで、その成功から、DRAM開発者グループによる共同体度が高くなっていました。そのため異分子的なチームが開発したフラッシュメモリを次世代の主流であると認めることをためらったのではないかと言われています。

 舛岡氏は東芝らしからぬ、「調整力」より「技術」を重視するサムライだったからこそ、NAND型フラッシュメモリを開発することに成功し、そのために浮いてしまっていたのかもしれません。実際フラッシュメモリ生みの親である舛岡氏は、第一線から外され、閑職に追いやられたまま、退社してしまいます。そして、フラッシュメモリの功労者でありながら、ほとんどその恩恵を得られなかったため、フラッシュメモリで巨額の利益を得た東芝に訴訟を起こすことになってしまいます。舛岡氏と共にフラッシュメモリを開発した優秀な技術者達も、その成功を評価されての出世もなく、年功序列に従い、かつてDRAMを開発した管理職の下に置かれてしまいます。そして、正当に評価されないことに嫌気がさしたのか、ほとんどが東芝を退社して、中国等のメーカーに転職してしまいます。

 今まで主流と思われていた共同体内の人たちを守るためには、安定を壊す異分子的成功者の存在が邪魔だったのかもしれません。(あるいは、DRAM開発グループが、フラッシュメモリの成功も自分達の成果にするために、自分達の管理下においたのかもしれません。)

 こんな共同体組織では、革新的な開発者がモチベーションを保つことができず、新しい創造的な商品は生まれにくくなってしまいます。舛岡氏が東芝を追いやられたことについて語った以下のコメントは、共同体がいかに才能を潰すのかを物語っています。

 「結果を出した人を活用せずに、仕事をさせないような人事ローテーションって東芝のサラリーマン体質というものですかね。もともと僕は自分が信じた事ばかりやって、上司の言うことは聞かない質だったので、辞めた時に会社は喜んでいたよ(笑)。」

② 組織内に情報の壁を作る秘密主義 の事例

=東芝原子力事業=

 東芝は、2006年にアメリカの原子炉メーカー大手のウェスティングハウス社(WH社)を6600億円で買収します。ただでさえ、それだけの価値があったかどうか微妙である上に、2009年リーマンショックが起こり、2011年には東日本大震災が起きて、原発開発における規制が強まり、WH社の企業価値は、大幅に下がっていました。

 さらにアメリカで原子力発電所の建設をWH社と共同で受注していたストーン&ウェブスター社(S&W社)を2016年に買収し、WH社の子会社にしますが、それによってS&W社の負債7000億円を抱え込むことになり、東芝自体が揺らぐことになりました。

 ここで問題を大きくしたのが、東芝の失敗を隠蔽しようとした“秘密主義”でした。これは共同体組織が持つ第2の特徴です。東芝は、2015年の水増し不正会計発覚時にWH社に投資した失敗が表沙汰にならないように投資損失額を引き下げて処理報告していました。さらにS&W社を危険だと分かっていながらも買収したのは、米国の電力会社と巨額な訴訟問題が起こっており、それを早期に解決するために、もう一つの受注元であるS&W社を傘下に入れて意見調整しやすくするためだったと言われています。つまり、原発発注元との係争により、受注元である東芝の過失と責任のありかが公になることを防ぐためにS&W社を手に入れ、まさにババを摑まされたのではないかと言われています。

 東芝の当時社長の綱川智氏が、WH子会社であるS&W社の巨額損失の報告を受けたのは、それを発表した2016年12月27日のわずか数週間前だったと言われています。つまり社長も知らないところで、巨額の負債を抱えている会社の買収や不正会計が行われていたことになります。

参考:歩叶コラム 東芝が2017年倒産しそうな会社になった原因をわかりやすく解説(2017/02/01)

③ 選択と集中ができない総花主義 の反例

=日立の躍進=

 東芝の凋落の話を書いてきましたが、ライバルの日立は、なぜV字回復することができたのでしょうか? 日立も保守的企業と言われており、組織の共同体化は進んでいたのではないかと思います。リーマンショック時には、7800億円の最終赤字を計上するところまで追い込まれていました。

 その経営危機の中で社長に就任した川村氏とその後を引き継いだ中西氏、東原氏の改革が功を奏したと言われています。川村氏は、日本の「モノづくり」の電機企業から、世界のインフラの「デジタル化」を牽引するソリューション企業へと変身することを目標に、テレビ用パネル、半導体、携帯電話事業などを次々と整理し、成長の見込める鉄道、エレベーターなどのインフラ事業、産業IoT事業へと投資資源を集中させ、共同体組織の第3の特徴である“総花主義”をリーダーが打ち破ったのだと思います。

 組織体制としては、東原社長が自ら推進して、スモール・ビジネス・ユニット制を敷き、プロフィットコントロールをユニット別に行うことで、目的達成のための責任を持った機能体組織の集まりにしています。

 そして、関連会社に出向して、共同体のしがらみの薄い人材を本社の中枢に次々と呼び戻すことで、共同体化の進行を防ぐ手立てを行いました。

 参考:NEWSPICKS 東原社長「日立107年のマインド、内部から壊す」 (2017/04/09)

 一方、東芝は総花主義だったのでしょうか? 東芝は早くからカンパニー制を採用し、選択と集中により、Dynabook、DRAMなど、攻めの商品を出してきました。早くから総花主義を脱却しようとしていたように思われます。

 しかし、一度成功を収め、主流となった商品の関係者は共同体化していきました。半導体にしろ、原子力にしろ、部署組織が硬直化し、選択と集中ができなくなっていました。失敗を認めることにより、共同体内の仲間が犠牲になるのを恐れ、それを誤魔化すための投資を続けてしまったことが、大きな痛手を負う要因になったのだと思います。

 組織は、全体が共同体化しないように気を配っていても、成功したグループ単位で部分的に共同体化してしまうことがあります。そしてじわじわと共同体化が広がっていくのです。日立も危機感が失われた今、いつ共同体の呪縛にとらわれてしまわないとも限りません。

 次回は、共同体化しないための一方策について紹介したいと思います。


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