家康

組織のモチベーション(4)「日本史上最長の安定志向組織に学ぶ」

 成長志向組織が、成長の限界に行き着いてしまった時、以下のように、二つの対応策があると書きました。

対応策①「気質を成長志向から安定志向へと切り替える。」

対応策②「次なるフロンティア市場で、成長を継続。」

 豊臣秀吉は対応策②を選択し、朝鮮出兵などあくまでも成長を目指すことによって、組織の凋落の原因を作りました。急速に成長した企業も、たいていは対応策②を選択します。

 対応策①という選択はありえないのでしょうか?

 実は、これを見事に成功させた組織が歴史上あります。

 徳川家康率いる徳川家です。

  徳川家は、織田家、豊臣家とともに成長を遂げ、ついには、大阪夏の陣で、天下を手に入れます。 ここで徳川家も豊臣家同様に、日本の中での成長が見込めなくなりました。

 家康が取った対応は、豊臣秀吉とは真逆のやり方でした。まず、関ヶ原の功労者であっても、成長志向の強い大名家を地方に追いやりました。福島正則や加藤清正がこれにあたります。一方、「武ではなく文の時代である」という号令のもと、武具の制作・手入れを行なっていた御細工所を、美術工芸品の制作・手入れを行う所に切り替えた加賀藩前田家を重宝し、筆頭大名として百万石を維持させました。

 また、成長志向という気質が害悪であるという意識改革を徹底的に行いました。例えば、大名が髭を生やすことを禁止しました。髭はアグレッシブさの象徴であるため、まず見かけから変えていったそうです。そして、武士は様式を整え、人格を修養すべしという教育を行い、戦に参加することだけが武士の務めではないことを浸透させました。

 家康が上手かったのは、組織に成長志向が蔓延している中、まず組織の“気質”を安定志向に変え、それから組織の“体質”である組織構造を安定型に変えたことです。その結果、徳川家は265年間も繁栄しました。

 もちろん、この前提には、鎖国を引き、孤立化することによって、競争のない社会を保てたことが大きかったと思います。安定志向の徳川家は、競争にさらされると脆く、開国した途端に滅亡しました。安定志向組織は、外部からの刺激の少ないクローズドな環境を必要とするのかもしれません。

 現代に振り返って考えてみましょう。 日本政府は、成長の限界を感じたからなのか、徳川家に近い政策を取っているように感じます。

 政府は、企業が持つ、“あらゆる手段を使って、成長(growth)する事こそが優れた企業の証”という成長志向にブレーキをかけ始めています。更に従業員である個人の意識を、猛烈に働く企業戦士ではなく、ワークライフバランスを重視した、粋な社会人を目指すように誘導しています。

 日本は、成長社会から成熟社会に変わろうとしているように思えます。 この中では、電通の鬼十則のようなアグレッシブな行動規範は、時代にそぐわないと判断されてしまいます。そして働き方改革の中で、安倍首相は「モーレツ社員という考え方自体が否定される日本にしていきたい」と発言し、徳川家が行なったような意識改革を促しています。

 世界的に低成長社会となった今、日本だけでなく、同じようなことは世界中で起きています。先進国の多くは、成長志向から安定志向に変わろうとしています。成長志向の場合には、拡大の余地が大きいオープンな競争環境であることのメリットが高かったのですが、安定志向の場合には、拡大することよりも減少しないことを重視するため、競争を制限したクローズドな環境の方が心地よくなります。イギリスのEC離脱、米国トランプ大統領の保護主義も、この流れだと思います。

 これで本当に大丈夫なのでしょうか? 閉鎖的になり、攻めよりも守りを重視する組織のモチベーションは、真の安定をもたらすのでしょうか? 次回はさらにアカデミックな視点から組織のモチベーションについて考えてみたいと思います。

          

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