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一人旅日記2022秋 第一章

久しぶりの仕事無関係な一人旅。
時間もあるだろうから久しぶりに旅日記をまとめようと考え、序章を書いた。

旅の最中で起こったことや感じたことを一日ずつまとめようと考え、何かあると都度メモを取りながら旅は続き、今3日目の夜。しかしまだ1日目の動向すらまとめていない。
何故かというと、心境の変化があったからだ。

僕の人生は波瀾万丈で、普通はなかなか起きないであろうことが起きまくる。旅先でもそれは同じであり、若い頃に旅日記をまとめると毎回それは好評だった。意外な人から「あれ好きなんですよ」と言われることも少なからずあり、ネタのような人生だからこそ、そのネタを晒していこうと考えていた。
今も基本的にそれは変わらない。だから今回は時間のある一人旅だからこそ、何か書こうと考えて序章まではまとめたのだ。
しかし、続きを書こうと思って筆が止まった。

書くということにとらわれていないか?
書かねばならないと、行動を無意識に制限したり、逆に意図的に面白い方向へ行動を進めたりしていないか?
それは自然ではないのではないか?

そんな風な考えが出てきたのだ。
若い頃には思いもしなかったことだ。書くことはカタルシスのひとつであり、書くことによって己の頭の中を確認し、理解することによって次へ進んでいた。
だから病んでいる時程書いた。書いて書いて書きまくった。それによってギリギリ生きるということにしがみつくことができた。

当時は色々な人に「君はアーティストなのだから事実だとしても、いや、事実だからこそ色々な出来事や頭の中で考えていることを詳しく書いて知らせるのは良くない。避けるべきだ。」と言われた。今にして思えばその通りだ。アーティストは憧れの対象でなければならないから、神秘的な部分が必要であり、ぶっちゃけすぎてはいけないのだ。
だのに当時の僕はぶっちゃけすぎる程にぶっちゃけていた。
そのせいで人気が出そうで出なかったのだという人も少なからずいたし、確かにそれは一理あったのかもしれないが、当時の僕は本当にギリギリだったから、書くことをしていなければアーティストとしての成功以前に生きることすら危うかったのだ。
だからありのままに書きすぎたことを後悔はしていない。むしろそれによって生き続けることができ、歳を取った今、当時より確実に幸せだと心底思えているのだからそれで良かったのだと思っている。

と、色々なことを旅先のジムで考えた。
ジムでトレーニングすることは僕にとってとても大切な時間だ。
何しろ100kgを超える重いものを持ち上げるので、それだけに脳を全集中しないと怪我をする。
普段から色々なことを考えすぎる程に考えてしまう気質だからこそ、その考えを一度リセットする時間としてトレーニングが必要不可欠なのである。
重いものを持ち上げた後には有酸素運動をする。そこでは今度は色々な思索に耽る。一度脳内がゼロになってから考えると、自然と良い答えが出てくる。

今回はそれをしてみて、あえて書かないという結論に達した。
当然この旅でも色々なことが起き、色々なことを考えた。それを自分の中だけにとどめておくという当たり前のことをしてみても良いのではないかと考えた。
それは既に僕はアーティストとしての活動をほぼしていないということも大きな理由だと言えよう。

若い頃はアーティストだったからこそ色々なネタを提供しないといけないと考え、書きに書きまくった。
そしてアーティストとしての動きがほとんどなくなった今、全て書くことをやめてみた。
逆にしていれば良かったのかもしれないが、逆だったら今がないのは先述した通りだ。

年齢に応じて生き方を変えていかねばならないと思う。
人生も後半戦。夢などは持っていないが、今の幸せをできるだけ長く続けたい。
だからこそ書かないことを試してみたいと思う。


と言いつつ、つづく。

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