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最近の松屋について肯定的立場からの提言

誰もが知るチェーン店「松屋」。
牛丼(牛めし)のお店と考えている人も少なからずいるでしょうが僕にとってはカレー屋。
#松屋はカレー屋
と言い続けて早13年が経ちますが、今ではさらに進化して何でもアリの美味いもん屋だとも思います。

そんな松屋がここ数年で様々な国の郷土料理を大胆にアレンジしたものを出しています。
その中でも特に少し前に出たガパオと、今出ている鶏肉飯については否定的意見が多く見られます。
「ガパオ使っていないなんてガパオじゃない!」というのはガパオ警察が異口同音に発するところですが、多くのガパオ警察が松屋のガパオを叩いているのを見ました。
※ガパオというのは本来ホーリーバジルとも呼ばれるタイの香草のことで、挽肉を炒めたもののことではないわけですが、日本ではエスニックテイストな挽肉炒めをガパオと呼ぶことが少なからずあり、一部のタイ料理好きがそれを叩いていて、そんな人達は「ガパオ警察」と呼ばれます。

また、鶏肉飯についても同様。読み方は「ジーローファン」。元々は台湾の屋台飯ですが、それをアレンジした松屋の鶏肉飯を「そんなのジーローファンではない!」と叩いている人達がいます。

そんな流れもあって、「最近の松屋はおかしい」という意見も散見されるわけですが、古くから松屋好きの僕から言わせたら松屋は昔から変わっていません。

話題になったシュクメルリだって正統派なものでは無かったと思います。
実際はジョージア発祥の料理であり、松屋のそれは米に合うように魔改造されたアレンジ版だったわけですが、ジョージアの方が「ちょっと違うけどこれはこれで美味しい(意訳)」的な肯定的意見を出していました。

では何故ガパオや鶏肉飯が叩かれるのか。
それについて僕からは、正しいガパオや鶏肉飯を知っているという己の知識をひけらかしたいが為に松屋を叩いているようにしか見えません。
また、誰もが知る大手チェーンの松屋を叩くことによって、己の立ち位置が相対的に上がったように無意識に思って気持ち良くなっているのではと。つまり、炎上しているものを袋叩きにしている人と同じマインドですね。
俺は正義! お前は悪! だから酷いこと言っても良いんだ!
的な。
恐ろしいことです。本人は上記のいずれも無意識なところがさらに恐ろしい。
正義なんて立場によって変わるものですし、よく勘違いされているのですが正義の反対は悪ではなく不義であり、正義だからと言って悪を叩いて良い理由にはなりません。ちなみに悪の反対は善です。そして善と悪も立場によって変わるものです。

それを理解できないマインドが戦争を引き起こすのです。
一神教は己の信ずる神以外を認めませんから。
しかし認めるも認めないも、存在しているし、それを愛している人だっているわけです。

ガパオのことだってそう。
挽肉炒めだと思っていて「ガパオ好き」という人がいても良いじゃないですか。
それを「お前は間違っている!」と叩くのって、キリスト教徒がイスラム教徒を叩くのと同じですし、テロ組織のジハードと規模こそ違えど根本にあるマインドは変わりません。
ホーリーバジル使っているのが正しいガパオだと知った上で、ホーリーバジル使っていない日本流魔改造ガパオが好きだという人もいて良いのです。

タイ料理の専門家が「それはガパオじゃない。間違った知識が広がって欲しくない。」というなら良いんです。しかしただの食べ手が無気になって言うことじゃないでしょうよと。

もちろん批評はして良いと思います。ただ、その場合は「本当のガパオはホーリーバジル使っている料理のことだから、これは正式にはガパオじゃないけど日本だと不思議とそう言われることが定着しちゃってるので、豆知識として知っておいて損はないですよー」くらいに言うべきであり、「お前は間違ってる!」と怒るのはどうかと。
じゃぁそれを言っているお前は間違ったこと無いのかよと。
僕は間違いだらけの人生ですから、人のことをそんなに悪く言えません。

それに、そんな事強く言われたらタイ料理好きは怖い人が多いからもう嫌だと思われても仕方ありません。
本当にタイ料理を愛するなら、叩くべきではなく、諭すべきなのです。
正義を振り翳して大手を叩いて気持ち良くなってんじゃねーよと。

ガパオにしろ鶏肉飯にしろ、カレーではないですが僕も好きな料理であり、カレーと一緒に食べることもあります。だから正しいタイ料理や正しい台湾料理が認知されて欲しいなと思っていますが、その為にはまず日本人にわかりやすい形で広まらないと認知は深まらないとも思うのです。

そもそもカレーだってそうじゃないですか。
日本のカレーはインド料理とはまるで別物。
細かいこと言うとインドにカレーという料理はそもそも無いわけで。

日本のカレーはイギリス経由で入ってきた西洋料理です。
新宿中村屋が純印度式カリーを提供したことをきっかけとして日本でもインドカレーが根付いていったという歴史があるのですが、純印度式カリーですら完璧に正しいインド料理ではないのです。

現地料理に対するリスペクトが無い!と怒っている人もいますが、何故それわかるのでしょうか?
リスペクトがあるからこそ広まれと思ってわかりやすく魔改造してるかもしれないじゃないですか。
リスペクトがあったらそんなことしない!と言われるかもしれませんが、リスペクトの仕方は人それぞれですから。
本当にリスペクトしているのであれば、「厳密に言うと違うけど、それの元となった料理が現地にあってとても美味しいので、これをきっかけに気に入った人は現地の本物も食べてみてね」ってスタンスが最も良いと僕は思っています。

と言ってもこれは僕の正義なだけですから、こんだけ言っといてなんですがガパオ警察や鶏肉飯警察を否定もしません。

ただ、言い方考えようよ、多様性の時代なんだから。
とは思います。
結果言いたかったのはそれです。

最後に僕の愛する松屋のカレーについて過去に書いた記事をリンクします。

これ見てもわかるように、松屋は昔からこうですよ。正統派な料理じゃないものの方が多くて、正統派に見えるものも時に出すけど実はアレンジがきいているものです。

いずれにしても「正しいか正しくないか」より「美味しいか美味しくないか」、また「楽しいか楽しくないか」の方が僕にとっては重要です。
松屋は美味しくて楽しくて、さらに安い。
だから僕は松屋が好きですし、松屋のガパオも鶏肉飯もアリだと考えているのです。

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