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【映画感想】ラスト・エンペラー/皇帝の孤独

「ラストエンペラー 」
昔テレビで放送されていたのを録画していた。
先日、やっと見ることができた。

清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)の生涯を描いた壮大な歴史大作であり、坂本龍一が音楽を手掛けたことでも知られている歴史スペクトラム大作。

溥儀の幼少期からの孤独と、皇帝の座に居続けようとするエゴイズムが丁寧に描き出されていた。
紫禁城では皇帝として崇められながらも、実質的には袁世凱が中国の皇帝となり、溥儀の権力は紫禁城の中に限定されたものだった。城外へ出ることは許されず、軟禁状態と言ってふさわしい環境に置かれていた。皇帝という超特権的な地位にあり、しかしそれ自体が生まれた時から人権を奪われることを対価に成り立っている歪さ。天皇も同じだ。最も権威があり、同時に最も抑圧された孤独な人間だということだ。
溥儀の幼少期に戻るが、ある時腹違いの突然弟がやってくる。2人は仲良く遊ぶのだが、溥儀は弟から皇帝が空虚な権力だということを知る。受け入れられない溥儀は、その場にいた宦官に墨汁を飲めと命令する。暴君といえば暴君的な行為なのだが、ただただ皇帝として祭り上げられ、乳母以外には個人として認められてこなかった溥儀の、自身のアイデンティティの脆さを突きつけられたことへの怯えを描き出す象徴的なシーンだったと思う。

溥儀のことは、溥儀と皇后に仕えた宦官たちの波乱に満ちた生涯を描いた浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んで知っていた。この小説では主人公の宦官が亡命したところまでしか描かれていなかったので、溥儀のその後は知らなかった。私はこの映画で初めて、その後に溥儀が満洲国の皇帝となって返り咲いたことを知った。…とは言いつつも、日本軍の支配下に置かれており、属国でありつづけたのだが。

当の中国国民は溥儀のことをどのような思いで見ているのだろうか。浅田次郎の小説では「我々の仲間」だというような描き方がなされているが、無論それは日本側からの見方だろう。日本軍に協力した一番の戦犯として収容され、最後は一市民として幕を閉じた晩年に象徴されるように、現在の中国は溥儀とは別の道を歩んでいるように思う。日本や、この映画を作ったイタリアやイギリスの製作陣からすると他国の出来事なわけで、溥儀を同情的に見ることもできるだろう。しかし中国ではA級戦犯かのように、突き放して見ている国民が多いのではないだろうか。知りたいことがまた増えた一作だった。

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