書くことによりなんかすっきりする。

こんにちは。自粛自粛と言われて早くも
三カ月目に入りました。
少しずつ自分という人間のアウトプットを
するとなんとなくですが気持ちは晴れます。
あ、別に病んでないですよ?
というわけで人生の転機でもある
高校入学から退学までを綴ります。
お付き合いください。

中学を卒業した僕は変わらず野球少年でした。
某私立高校にはいり軟式野球部と硬式野球部が
あり、僕は軟式野球部に入部しました。

クラス数もかなりあって九クラスありました。当然色々な地域から来るのでいろんな人が
います。

実は今もたまーにあるんですが結構怒りやすく
入学して早々にクラスメイトと揉め
停学になりました。笑
当然学年主任等には目をつけられます。
でもね、やっぱり自然体で居たかったんだけど
クラスに行くと
僕=明るく元気な人
みたいなイメージがついてしまっていて
後々痛い目を見ることになるんです。

部活はすごい充実していたんだけど、、、
成績は正直ちっともよくなかった。むしろ
悪くて"部活する暇あったら勉強しろ"
そんな高校でした。
文武両道を掲げる高校だったし規則もまあまあ
厳しかった。
当時流行っていたスニーカーソックスはダメ。
スニーカー登校もダメ。アクセサリーは勿論
ピアス、携帯も禁止。
まあ、それが普通なんだけどね。笑
隠してゲームボーイやってるやついたし
ブレザーの袖を舐めまくってるやつとか
休み時間ひたすら駅名を一人アナウンスしてる
やつもいた。
いま思えば変人が多かったね。笑

そして先輩方が引退して夏休みにはいり
部活初の夏合宿。いま思えばこの辺りから
僕の高校生活はちょっとづつ変化があった。
部活はとても順調だったんだけど一向に成績が
振るわない。
この辺りから

"退学したい"

が頭をよぎり始めた。夏休みに宿題提出日が
あってここまでに宿題をある程度片付けないと
いけないという謎なルール?があった。
まあ例の如く部活万歳な僕は全然終わらなくて
残させられた。
いま思えば良心的だよ。笑
はっぱかけてくれるわけだからね。
でも当時は部活で疲れてそれどころじゃ
なかった。体も小さいから人一倍動くのを
求められたから練習はなかなかハードだった。

夏休み終わり前にまた宿題提出日。

また居残りでした。
野球したいのに出来ないストレス。
学校行くのが嫌になるストレス。
そして二学期が始まり。それが蓄積される。

そして九月に入ると文化祭準備が徐々に
始まりました。うちのクラスは当時流行った
"ハモネプ"(わからない人はググろう笑)を
やる運びになった。その為に準備が始まり
生地屋とかなんか色々買いに走った。
もちろん部活優先だったけどね。
この頃ぐらいから段々人間関係というか
"違った自分"をいつのまにか作っていて
周りから元気がないと心配されるのが嫌で
なんか無理くり元気を出していた気がする。
当然イライラもする。で、また揉め事を
起こし停学。
なんか学校にいくんだけど隔離されて
ひたすら反省文を書かされて15時くらいに
帰るみたいな生活を何日か過ごす。
もちろん部活は出れない。更にストレス。
反省文も白紙で出してたし遂には学年委員会に
かけられることとなりました。
九クラス分の担任が目の前にずらっと。
野球部の顧問もいる。
なんか質疑応答があったけど内容は全く
覚えてない。ただ、部活の顧問は必死に擁護を
してくれていたのを覚えてる。
父が学校に迎えに来てくれて帰った。
何度も何度もごめんなさい。っていっても
父は気にすんな。って言ってくれてた。
最寄りに着いたら駅中にある立ち食い蕎麦屋で
「なんか食うか?」って言ってくれて
ラーメンを食べたのを鮮明に覚えてる。
実はこの揉め事を起こす前から体に拒否反応が
出ていた。

学校行くのが嫌で起きられない。
学校行くのが嫌で疲れが取れない。
学校行くのが嫌でお腹が痛くなる。
恥ずかしいが漏らしてしまったことがある。
学校の最寄り駅の隣駅で。
着くギリギリになると猛烈に痛くなった。

そんなことがもう起きていて帰宅したら


"プツンっ"


そんな音が鳴った。
部屋はめちゃくちゃにして制服やノート、
教科書も全てめちゃくちゃに泣き叫びながら
暴れていた。
気がついたらもうぐちゃぐちゃで涙で
顔をぐちゃくちゃにした母が居た。

事実親はもう勘付いていたみたい。
学校を辞めたいって気持ちは汲み取っていて
「もうちょっと頑張ろ!」と母はいつも
そう言ってくれていた。

でももう自分の中には限界をゆうに超えていて
もうどうしようもなかった。そしてデカい声で口論していた。
いくつかラリーを繰り返し終盤。

「選んだのは自分なんだから!」
「ここにしたら?って言ったのはお母さんじゃないか!」
そのやり取りでこの口論が終わると同時に
母は泣き崩れた。いまでも覚えている。
なんてことを言ってしまったんだって。
親を悲しませてしまったのだ。
事実母は最近までそれを気にしていた。
「辛い顔をしてるAkiLAを見てるのも親は辛い。高校変えよう。」

こうして僕は12/24に私立高校を
退学することになった。
いまでも自分の中でも上位に入る
辛かった出来事だったかな。

高校入学から退学編はここまで。
ただちょっと思うことがあるんで綴ります。


今はSNSが発達して色々なイジメだったりが
あるよね。僕の高校時代より悪質。
自殺者が出るくらいなんだから相当だよ。
いま思えば僕の退学の経緯とかは甘いと思う。
嫌だから辞める。みたいな感じ。
せっかく親が入学させてくれたのになって
今となっては思います。
先生の前でとりあえず学校ではいいカッコ
してあとは自由にするのが一番っていうのを
僕は出来なかった。それが出来ていたら
もしかしたらこれから先の道は全く変わって
いたかもしれない。
だけど変わることは悪いとは思わないんだ。
おかげでいまの人生を歩めているから。

退学=悪い
辞める=悪い

が全てじゃないと僕は思う。
環境を変えて僕は本当によかったと思う。
ダブってるわけじゃないしね。笑
転入だから。笑

親の負担だったりは計り知れないけど
しっかり自分の意志は伝えることが大事だと
思う。伝えないと分からないしゲームやマンガ
みたいに吹き出しやテロップはないからね。

自分の気持ちをしっかり伝えるのは異性だけ
ではなく親にもしっかり伝えることが僕は
大事だと思う。
家庭環境は様々だからね。なんとも言えない。
ちなみに怒りやすいのはいまも継続してますが
昔よりはマシになりました。笑

さあ!次回はいよいよ転入編です!

よかったらまた見てみてください(^ ^)
ご愛読ありがとうございました😊

#myhistory #highschoollife

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