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昔の彼からの手紙をみつける

実家と、東京の叔母の家に昔の荷物を置かせてもらっている。トータルすると段ボール10コくらいになるだろうか。日本に帰るたびにそれを開けては、チリに持っていくものを選んだり、もういらないと思うものを捨てたり、昔読んだ本をチラ見したりするのだけど、今回、いつもは開けない段ボールを開けたらその中の袋から、昔もらった手紙が大量に出てきた。

中でも、厚さ5センチくらいになる葉書。年賀状かと思ったら、昔付き合っていた人が送ってくれたもので、彼特有の、蟻より小さい字でびっしり字が綴ってあった。

詩が書いてあったり、新しい季節へ移り変わることへの喜びだったり、行ったライブの感想だったり。私が好きだとか、会いたいとかそんなことは書いてなくて、ただその時のいろんな想いが綴ってあったわけだけど、それを、この私にむけて書いていてくれた、こんなにたくさん、、、ということに、貰ってから25年後、読み返してすごくびっくりした。

うわーん泣。

彼は記憶に残る限り、一度も好きだとも付き合おうとも言ってくれなかった。私は彼のことが大好きで、一緒に週末の度に出かけていたけど、私は、自分の片思いなのでは?とさえ思ったものだった。

こんなに思われていたなんて。
それを知らなかった私は、なんて、なんて、なーんて、幼かったのだろう。

私と彼は、田舎のユニークな全寮制の高校の同級生で、3年間ずっと仲が良かった。彼は複雑な家庭環境に育ったせいか非常に大人びていて、読書家で文章とピアノがすごく上手だった。

同級生の域を出たのは私が大学に入ってからで、彼は浪人してお母さんの彼氏の家にいたけど、同じ小田急線沿いだったので、彼好みの、鎌倉とか、江ノ島とか、箱根とか、横浜とか風光明媚なところによく出かけた。地方都市で育った幼い私にとって、それらはすごく新しくて素敵で、歴史の面影に満ちていて、「そういうところを知っているこの人は本当に私と同じ年なのか?」と思ったものだった。

かわいくも、スタイルが良くも、頭が良くも、面白くもなかった私は、彼に対して憧れと劣等感があって、自分のことで精一杯だった。何が気に入られたのかわからないけど、私と一緒にいてくれた彼を疑い、自分が思ってもらえていることに気づかなかったのだ。

すれ違った両思い。
今ならわかる。自分を認められなかった私が、彼を受け入れるのは難しかった。あの時はまだいろんなことが怖くて、私はすごく小さかった。

それに対して彼は19歳の私の誕生日に、銀座ライオンで、ハッピーバースデーの演出をしたり、20歳の誕生日に、箱根の結構お高い旅館を予約するようなやつだった。
そのおっさん臭さが嫌になったというか、彼の暗さや小難しさに疲れてしまったのか、21歳の誕生日を祝ってもらう前に私は彼と一緒にいるのをやめてしまった。でも本当のところは、彼を受け止められないことへの後ろめたさに疲れたのだ。

もし時間を戻すことができたなら、あの時の幼い臆病な私に言いたい。自信を持って自分を認めて彼を受け入れろって。

そしたら別の未来があったかもしれない。私の人生はもっとシンプルだったかもしれない。

彼は今どこで何をしているのか、高校の同級生の誰も知らないらしい。素敵な人と幸せに暮らしていることを祈るのみだ。
もしもう一度会えることがあったら、その時は、一緒に鎌倉を歩きたい。







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