金色のコルダAS横浜天音 冥加玲士攻略感想

※個人の感想です

AS横浜天音4人目は冥加。
ASの小日向はアレクセイが送った案内状によって天音転入を決める。冒頭の描写によると、冥加は小日向が自分の学校に来ることを知らなかったようだ。
コルダ3では冥加自身が、くすぶっていた小日向に手紙(怪文書)を送って発奮を促した。私は冥加自ら働きかけている正史の方が「貴様をずっと見守っていた感」が出ていて好きなのだが、7年も忘れられなかった相手がいきなり自分の学校に転入してくるASの展開もすごい。冥加はさぞかしびっくりしただろう。

天音に来てくだサーイという案内を受けて、制服、学用品、住む場所など、おそらくは全て揃えてから転入してきた小日向(と響也)なのに、転入初日に「転入なんて聞いていないし、そもそも天音のレベルに達していないから帰れ」と言われてしまう。
無茶言うなよ。
だいたい、学期途中の転入生のことを全く知らないとは何事。天音の上層部は報連相(ホウレンソウ)がなっていない。
だが、何だかんだで小日向たちは、アンサンブルで及第点を貰えば天音に残れる事になる。
こちらとしても今更長野には戻れない。もし戻ったら、小日向はクラスメイトにこれを自虐ネタとして披露しながら卒業の日まで過ごすことになってしまう。率直に言ってつらすぎる。
何より小日向は自分を変えたくてここに来たのだ。のこのこ帰るわけにはいかない。
無事にアンサンブルメンバーになってからも、冥加は小日向に憎しみ(と冥加が信じている感情)をぶつけてくるのだが、これがまあ簡単に言うと感じが悪い。「今すぐこいつの血を半分くらい抜いてグリーンスムージーに入れ替えてやりてえ」と思うような事を言ってくるし、練習に誘っても昼飯に誘っても断られるのだが、コルダ3、4、オクターヴをすでにプレイした身としてはただ悠然と構えるのみである。
なぜなら冥加ルートといえば、憎しみ→ なんなんだ、貴様は(思ってたのと違う)→ 憎しみだけではないのかも→ ファム・ファタル!運命!俺を支配してくれ!
という鉄板の流れ、ゆるぎない柱がある。これは強い。
月森といえばヴァイオリン・ロマンスだが、冥加といえばファム・ファタル、ファム・ファタルといえば冥加。なので、それまでの全てはファム・ファタルに至るまでの序章だと思えば良いのだ。
ASの冥加ルートは冥かなを嗜む者にとっての夢が詰まっている。「冥加の私設秘書になる」「髪下ろし冥加」「疲れた冥加を膝枕」「冥加と浴衣で夏祭り」「ドレスアップして冥加とパーティ」「冥加の長ランを羽織る」などなど、二次創作で一度は見たことがあるイベントが盛り沢山だ。
辺境の字書きである私でさえ、AS発売前に上記と同じシチュエーションの冥かな二次作品を複数書いている。もちろん「発売前にこのシチュですでに書いてたんだぜー、私ってすげえだろ」などと、クソみたいなマウンティングを取りたいわけではない。カップリングに節操がない私でさえ思いつくのだから、冥かなメインで活動している絵描き字書きなら一度は冥加の学ランを小日向に羽織らせ、疲れた冥加を小日向の膝枕で寝させようと思った事があるのではないかという話だ。つまり、冥かなの女が夢見たイベントを公式が叶えてくれるのがASなのだと言いたい。

冥加ルートは、冥加が目を伏せて赤面する度に「尊い!」と膝をもろ叩きし、冥加が照れて口籠る様を見てイイ顔になるなど、画面前でひたすらニヤニヤできる。
終盤、御影に小日向の存在を利用され、冥加は学園の実権をアレクセイに取り上げられる。そこから、コンクールで優勝することで、理事会に己の経営手腕と実績を認めさせて実権を取り戻そうという流れになるが、それはまあ置いといても良い。いや、良くはないかもしれないが、冥加が誰かの恨みをかって小日向が利用される展開自体はいつもの事である。
それも大きな山場ではあるが、個人的には小日向の持つ金色の弦を冥加が見つける場面が冥加ルートの肝だと思っている。7年前の出来事が二人の間で共有され、その時の事が忘れられなかったのは冥加だけではないと本人に伝わるシーンだからだ。
冥加の小日向への感情は、天宮が「憎しみか恋なのかわからなくなるほどの執着」と言及しているし、それに尽きると思う。
冥加は小日向に抱く感情が憎しみだけじゃないのかも、と薄々気づきながらなかなかそれを認められない。7年間支えにしてきた感情を「それ、憎しみっていうより恋かも」などとすぐに思えないのは当たり前だ。また、これが恋なら一層苦しまねばならないことを冥加は自分でもよく判っているのだろう。憎しみなら相手に非があると思えるから「貴様が悪い」と糾弾できるし、その結果相手に嫌われても構わない。しかし、それが恋なら相手に非はなく「俺を恋に落した貴様が悪い」とは責められないし、何より恋した相手に嫌われたらつらい。本人も言っているが、冥加にとっては憎んでいる方が楽に決まっているのだ。
しかし、共通の目的を持って共に闘ったファイナルのステージ、冥加の目の前で小日向がついに開花。冥加は葛藤を乗り越えて己の気持ちを受け入れることになる。この段階まで最後の「恋の音」が手に入らないのは冥加だけなので、彼の葛藤のほどがわかろうというものだ。
しかし、小日向への二人称が「貴様」から「お前」に変わり、恋を自覚しても、冥加はなかなか思いを告げない。最後の最後まで告白せずに回れ右しそうな体勢であったが、小日向がそれを引き止めてようやく告白エンディングへ。
冥加の面白いところは、小日向が自分の運命の女であることは疑わないくせに、自分が小日向の運命の男だとは断言しないところだ。冥加は小日向から自分に向けられる愛情に関しては謙虚というか、自信がなさげなのである。
まさか自分が小日向に愛される日がこようとは思ってもみなかった、というような表情を見せる。音楽に関してはあんなに自信を持っていて尊大なのに、小日向からの愛情には「ほんとにいいのか?」と微妙に臆病な反応をしてくるところが私はすごく好きだ。
それに冥加は、基本的に小日向が選択肢のどれを選んでも親密度が上がる。
お前、小日向のことほんとに好きやな。
そう確認できる冥加ルートだった。

しかしこのルートに不満が無いわけではない。
一つはアレクセイについてだ。
小日向の演奏によりモンドへの扉が開き、アレクセイが消えるシーンかある。おそらくアレクセイは憧れてやまないモンドに行ってしまったのだろうと思われる。
アレクセイ的には行けてハッピーだろうし、彼が消えれば学園の揉め事が後腐れなく片付く。だが冥加の権力闘争の相手があっさり現場から消えてしまったのが、なんとなくスッキリしなかった。直接アレクセイをギャフンと言わせて実権を取り戻した方が、もっと爽快感があったように思う。まあ、敢えて曖昧にしたのかもしれないが。
あと、もう一つ。これは大好きな人も多そうだし完全に私個人の趣味なのだが、冥加と小日向のファイナルでのやり取りは、ずっと冥王と女神の扮装をしたままじゃなくてもいいと思った。全くやるなとは言わない。だがあの扮装をしたスチルは一つで充分だ。
あれが心象風景なのかマエストロフィールドの一部なのかは知らないが、他のキャラルートにまで(時にはコメディ的に)登場するので、悪い意味で見慣れてしまった。もちろん、あれが「ドラマティックで大好きだ」という人の方が多いことは承知している。だが私の場合、2人があの格好で出てくると文化祭演劇を見せられているようで、大事なシーンなのに笑えてしまうのだ。悲しいことに。
だから、あれはここぞという時に一瞬だけでいいと思っている。わざわざあの扮装をしなくても二人が運命的なのはちゃんと伝わっている。

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