下天の華 罪の華 徳川家康攻略感想

※個人の感想ですよ~。

罪の華二人目は家康。
例によってフォロワーさんに「家康ルートもしんどいですかね?」みたいなことを尋ねたら「恐怖」というワードが返ってきた。
恐怖。
乙女ゲーの感想ではあまり見かけない言葉である。
うむ、罪の華ルートとして合格だ。

さて、件の家康であるが、彼は体格に恵まれ、武士としての身体能力も持ち、将来の領国統治能力にも期待できる、だけど本人の性格は優しくひたすら穏やか、というようなキャラだ。家臣たちには武士らしくないと心配されつつも愛されている。
蘭丸もそうだったが、こういう好い人タイプと罪の華ルートに行くのはかなりのガッツが必要である。
風邪などをひいていない、元気があるときにした方がいい。
家康ルートといえば、少年時代に女の恐ろしさを嫌というほど見せられて女性恐怖症になった彼が、ヒロインに少しずつ心を開いていくという流れだ。
なのにこれから彼にまたひとつ、女がらみのトラウマを植え付けてしまうのは確実で、私の気が重いのも当たり前である。

罪の華は、途中まで通常と同じルートを辿る。そのため、ようやく女嫌いが直りそうな家康、これから立派な領主になるぞと前向きになったばかりの家康を裏切らねばならない予感に胃がひりひりしてくる。
こうなると、通常ルートではほのぼのピクニックだった薬草取りイベントも、「不穏」としか言いようがない。
そして登場するゲジメじいちゃん。
こいつが出たらルート入り決定だということは前回でわかった。ゲジメは、罪の華への使者なのだ。
まあ、ゲジメじいのことは置いといて、蘭丸ルート同様、信長暗殺への迷いを見透かされたほたるは幻術にかかってしまい、安土城を燃やすための鳳凰像を運び込む。
そこで家康に見つかりお縄になる流れも蘭丸ルートと同じだが、蘭丸の時には重傷だった信長様がここではぴんぴんしていらっしゃる。
蘭丸のぶちギレぶりに比べて、家康の態度がわりと大人しいのは、人柄性格立場のせいでもあるが、信長の怪我の有無も関係していると思う。
しかし怪我人が出ていなくても罪は罪。ということで、やはりほたるは高札どおりの刑に決まる。
ただ家康ルートの場合、「ほたるがこれから受けるであろう地獄の責め苦」にはあまり言及されない。
蘭丸はそれに想像を巡らせ「好きな女の子をそんな目に遭わせるくらいなら」とほたるを手にかけるが、家康はそれとは微妙に違った。
彼女がひどい目に遭う前にというより、「誰かに彼女の行く末を委ねるくらいなら僕が」と、ある意味独占欲のようなものを覗かせる。
牢に入ってきた彼は視線こそ厳しいものの、終始丁寧かつ冷静にほたるに経緯の説明を求める。
ほたるはここで光秀からの依頼だったことだけは伏せて、すべてを話す。
こういう展開から「やはりあれはあなたの本意ではなかったのですね!僕、信長様に助命を掛け合ってきます!」と、ヒロインが牢から出されてラブラブハッピーで終わらないのが、このゲームのすごいところだ。
家康はほたるが操られていたこと、さらに自分が惹かれたほたるの美徳を認めた上でやはりそれでも「受け入れられない」と結論を出す。
どんなに心が揺らいでいても、任務のためなら心を殺すのか?殺せるのか?
それに「イエス」とほたるが答えた時、それが私には家康の気持ちが固まった瞬間に思えた。
家康はせめて自分の手で、と、お手製の毒薬をほたるに飲ませる。
おそらく、蘭丸ルートを先にやった10人中15人が「すわ毒殺、吐血からの暗転か」と思っただろう。私も思った。
しかし家康ルートの真の恐怖はここからだ。
ほたるは生きていたのである。
このほたるが家康の頭の中にだけ存在している幻覚なら別の意味で恐怖だが、どうやら実在である。

ただ、このルートは、牢に入ったほたるに家康が毒をすすめたあたりから、色んな解釈が可能だ。
結局あの「毒」がなんなのかがゲーム内でははっきり語られていないから、プレイヤーによって色んな解釈の余地があるのだ。
ということで、以下は完全に私の妄想なので、そういう補完が苦手な方はスルーして欲しいし、自分の解釈以外はビタイチ聞きたくないと思う方もスルーでお願いしたい。

私は家康がほたるに飲ませたのは毒は毒でも、「確実に死に至らしめるような毒」ではなかったと思っている。なぜなら「これを飲んだら確実に死にますよ」と家康は一言も言っていないからだ。「苦しみは一瞬」みたいなことは言っていたが「死ぬまでの苦しみ」とは言っていない。
つまり最初から、家康は毒で「殺すつもり」ではなかった。
ただし、この毒が「記憶だけを失わせる毒」だとちょっと都合が良すぎるので、飲んだら昏倒し死んでもおかしくないが、処置によっては蘇生可能、しかし蘇生後には何らかの障害が残ってしまうような物だったのではないかと妄想した。
その障害が今回は「記憶喪失」として表れたが、場合によっては手足の麻痺や失明のようなことになったかもしれない。
そんな状態にしてでも家康はほたるを生かして、そのそばにいたかったのかと思うと、我ながらヤンデレが過ぎる家康像だという気がする。だが私はそう思った。
牢に来た家康が、何がなんでもこの「毒」を飲ませたるという気合いに満ちていたからだろうか。
どうせ殺すことになってるなら、ほたるが自分で言っているように自害させたらいいし、あえて自分の手も汚したいというなら手段は毒でなくてもいい。蘭丸みたいに一思いにやってくれれば一瞬で済む。
それなのに家康は「毒」の使用に拘っているように見える。
牢に来た家康は信長にほたるの処分を一任されていると言っていた。一任といっても、まさか「罪人を五体満足で牢から出して逃がしてもオッケー」なわけはなかろう。
ほたるを死なせるか、生かすにしても忍びとして今後は活動出来ないような状態にするか、あとは一生監禁するか。信長から家康に与えられた選択肢はそれくらいだろう。
私は家康がほたるを死なせる選択ではなく、生かす選択をしたのだと思った。
しかし生かすといっても、状況からいってそうできる最低条件はほたるが忍びでなくなることと、二度と織田に不利益を働かないように彼女を監視下に置くことだろう。牢での問いにほたるは「任務となったら心を殺す」と答えているからだ。
ほたる本来の優しい心根を考慮しても「依頼されたらまたやるよ」と断言している奴を普通に牢屋から出すのはリスキー過ぎる。
つまり家康は、ほたるという虜囚の「監視役」になったのではないだろうか。
ほたるが林の中で何かを思い出しそうになった時、家康は底冷えしそうな声で「思い出したのですか?」と問いかける。
あれが物語るように、ほたるはただあの場所で養生させてもらってるわけではない。
安土から離れた三河で、家康は監視役でもなんでもいいから、ほたるのそばにいたいと思ったのかもしれない。
それを考えると、家康とほたるが日溜まりのなかで笑い合うエンディングは怖いのだ。
ほたるが記憶を取り戻したときこそ、この一見優しげな世界が崩れるときだとはっきりわかるからだ。
そして、ほたるの記憶は何時よみがえってもおかしくない。林に入ったくらいですでに思い出しそうになっている。
ほたるが生きていられるのは彼女が忍びとして、今は何も出来ない状態だからだ。
逆に言えば、記憶が戻って忍びとしてのスキルを取り戻したとき、彼女は今度こそ殺されるのではないか。
ラストのスチルをよく見ると家康の手には印籠がある。私は、あれにはもう小鳥にやるための米は入っていないと思う。
だって、印籠は元々薬を入れておくものなのだ。
中にどんな薬が入っているのか。それはほたるが記憶を取り戻した時、彼女を速やかに死なせるための「毒」ではないのか。
それが想像できて怖い。
家康はこれから先もほたるが目にするすべてに注意を払って何も思い出させないようにし、二人の穏やかな場所を守るつもりなのだろうか。しかし、それはきっと尋常じゃなく精神を削られるだろう。
エンディングの家康は、見かけた鳥を「小鳥さん」ではなく「小鳥」と言っている。
彼の中の何かは確実に壊れたのだと思ったし、家康の精神状態を想像するとき、このエンディングは一層怖くなるのだ。
ハッピーエンドと錯覚しそうな木漏れ日の中の二人だが、章タイトルどおりのたまゆら。一瞬の儚い縁、作られたかりそめの幸せということなのかもしれない。

まあ私はそう考えたのだが、牢の中で飲ませた「毒」で家康は最初からほたるを一思いに殺すつもりだったと考えるのも勿論アリだ。
楽にさせてやりたくて毒は飲ませたが、ほたるが途中で吐き出してしまい死は免れた。かわりに記憶を失い…という流れも、家康のヤンデレ度が下がってソフトな仕上がりという気がして良い。
本当に色んな解釈が楽しめる(楽しめるっていうのも妙だけど)ルートだったと思う。

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