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寸×大原大次郎「うるおっている風景、みつけませんか?」『ハロー風景』刊行記念イベント

あれは2014/10/12 Sunのこと、寸×大原大次郎「うるおっている風景、みつけませんか?」『ハロー風景』刊行記念@下北沢B&Bに行ってきた。

「モンスーン」でサブカルの向こう側を見た寸さんは、ある時蔵書を全部整理した。大次郎さんが寸さんの家に遊びに行ったら本棚に本がなくて、耳かきと「歳時記」一冊がぽつんと置かれていて、あまりのスタイリッシュなライフスタイルぶりに大次郎さんはえらい衝撃を受けたそうだ。

それ以降、寸さんは俳句の世界に飛び込んでいった。

「サブカルはあらゆる言葉がダブルミーニングだった。言葉が静止する状態はないのか、と思って、言葉がひとつの意味しかない俳句、なかでも写生句に惹かれた」のだそう。

寸さんが影響を受けた俳人は高浜虚子。「花鳥諷詠、客観写生こそが俳句の神髄である」と主張した人。なにかというと「主観を交えず、見たものを見たまま言葉にする」という禅の世界。それは雑誌「ホトトギス」の理念となり、虚子は「三つ食へば 葉三片や 桜餅」なんて句を読んで、ホトトギスは膨大な数の投稿者を抱える大雑誌へと成長してブイブイ言っていた。ちなみにホトトギスを出版する「ホトトギス社」はいまも存在しているらしい。

寸さんはそうして俳句の世界に入り、角川春樹さんの句会に通って句を詠み、筋が良いと褒められていたけれど、そこから逸脱する。

「俳句の人の間でだけ俳句を詠んでいたらいけない」

と思ったのだそうだ。どこかに同化すれば楽なのにそうしなかった。いつでもアウェイで居続ける。転がる石に苔は生えないという生き様。そして「ハロー風景」を作った。

大原さんは寸さんの俳句を読んだ時に、「いままで漠然としか知らなかった、誰もが知る芸術がすんなり入ってくる感じがあった」のだそう。ところで大次郎さんが美学校でやってる授業で、自分の「ハロー風景」を作るというものがあって、そこでは大次郎さんの作品そっくりのグラフィックを作る人もいる。普通自分の真似をされると怒るデザイナーが多いですが、という話で

「そもそも自分のグラフィックが増殖してもいいと思っている。僕が興味があるのは「人の癖」。アートフォームとして出来る方法論を作れれば、答えはゆるくていい。ワークショップでは、500人やるとバリエーションがなくなって答えが均一化してくる」

と言ってたのが面白かった。大次郎さんは今までに2000人くらいにワークショップをしているのだそうだ。スゴイ。

そしてイベントは、お客さんから募集した句を発表して人気投票を行う「句会」へ。あらかじめ投稿した句がプリントされたものが配られ、○を付けて投票する。句会は客席にいる人が「こんなことを想定して書きました」と無理のないかたちで発表できるので、自然に主体的になれる良い仕組み。大変盛り上がり、これは今後も句会が催されるのではないかと思わされた。

さらに「ハロー風景」の本のために作られた絵を本のためだけにしておくのはもったいない。ということで作られたトートバッグ、シルクスクリーン3刷の豪華版が来場者全員に配られてすごかった。というすごい会でした。

【おまけ】

俳句の本を読んでみると、自分も俳句を作りたくなる。俳句にするべき光景を見たときに「いま俳句を作りたい」となるので、そういう「俳句・モメント」に出会うという感じだ。昔の人はカメラがなかったので、「この瞬間を残したい」と思ったときに俳句を詠んでいたのかもしれない。これまでに訪れた俳句モメントを上げてみる。この瞬間は一瞬だけ見えてすぐに消えるのですぐに俳句にしなくちゃいけないんだろう。

・田園都市線、平日の午後二時の用賀駅で。ベンチを占領する坊主の男子高校生5人組。マクドナルドのフライドポテトのLサイズを取り合いながら食べている。マクドナルドのフライドポテトのLサイズというのは学校帰りの坊主の男子高校生のために存在するようだった。

・国内線の飛行機のカウンターに並んで待っている時に、みんなスマホや電話とにらめっこしながら待っている人々のなかで一人編み物をしている女性。ちいさな靴下か何か。

・夜の住宅街を、フィリピンとかそのあたりのアジア人の女性が小さな女の子と歩いている。二人は道を渡って、女性が呪文のような一言を言ったら、女の子がケラケラと笑った。なにかすごくおかしいことなんだろう。

・公園で、上品な奥さん、奥さんが連れている奥さんそっくりな犬とすれ違う



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