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ディズニーの映画は誰のためのもの? 映画「ベイマックス」

映画「ベイマックス」見ました。近未来の架空の都市、サンフランソーキョーを舞台に、天才少年ヒロと鈴をイメージしたつぶらな瞳を持つケア・ロボット「ベイマックス」、そして仲間たちが繰り広げる冒険活劇の、アメコミが原作なスーパーヒーロー作品です。

制作はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。「シュガー・ラッシュ」、「アナと雪の女王」の次の作品がこの「ベイマックス」。ピクサーじゃないんですね。すごく面白かったですよ。ていうか、面白くないわけがない。

インターネットでは、この映画を見て、日本映画に絶望する発言が多数見られておりました。

『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った

ベイマックスが最高すぎて恐怖すら覚えた件 

映画『ベイマックス』に見る秀才たちの限界

みんな何にそんなに絶望しているのかというと、「ベイマックス」は脚本だけで20人いるような、アメリカ式の合理的な完全分業で作られている。いっぽう日本のアニメは宮﨑駿とかカリスマの指令を平民が実現する仕組みなので、カリスマがいなくなったらすごい作品がつくれない。宮﨑駿も高齢になったし、「攻殻機動隊」も「AKIRA」も過去の栄光で、もう日本のアニメはアメリカのアニメに勝つことができないんじゃないかということだそうです。

勝ち負けがどうかはわからないけど、ディズニーの映画は徹底的に「見る人を楽しませる」ことに心血を注いでいることが本当にスゴイと思う。前作の「アナと雪の女王」は、オープニングからして凄かった。氷売の男たちが歌っているその映像は、監督や製作者のエゴで作られたものではない。つくり手の「こんな絵が作りたかった」というほとばしる情熱や意思がまったく見えない、100%見る人だけのために作られた映像だった。

「ベイマックス」も、誰のために作られたものなのかと思う。普通映画というのは監督とかスポンサーとかが作りたい世界観だったりするものだけど、徹底されたプロの分業制で作られたディズニーの映画にはまったく個人のエゴが感じられない。そしてちゃんと週休2日で家にはアップル製品がたくさんあって、きれいな奥さんとかわいいこどもがいて、夏にはバカンスに行っているんだろうなという余裕が画面からにじみでている。なにもかも明快で、もちろんすごく熱心に取り組んで残業もたくさんしているんだろうけど、作品にまったくルサンチマンがない。

日本人がビビったのは、そうやって作られた作品が薄っぺらでつまらないかというとまったくそうではなかったことだ。最高だし完全に泣いたり笑ったりしたし感動したし、もう、100%楽しい。キャラクターも魅力的だし映像も壮大。サンフランソーキョーの夕暮れや、異次元のビジョンとか、ほんとうにはっとさせられた。

いっぽうの日本のアニメ業界は薄給で過酷な労働をしていて、監督は20年間会社の机で寝て作品を作ったりするそうだし、ブログで書かれているように、「楽しんですごいものを作った」ということにすごくびっくりする。日本にはそもそも「すごいものを作るためには楽しむんじゃなくて苦しまなくちゃいけない」という思い込みがあるんじゃないか。ビーチで昼寝じゃなくて、臥薪嘗胆しないと良い作品が作れないってイメージ。

でも、じつは全然そうじゃなかった。そもそも日本のスタジオが作ってはヒットできずに死屍累々となっていったアニメーション作品を見ると、いったい誰のために作られたものなのかがわからないものが多い。船頭についていった結果、誰の記憶にも残らない作品になってしまった。最初はみんな、いいものが作りたいと思っていたはずなのに。ただ、監督もプロデューサーもスポンサーもアニメーターも誰もそのやり方がわからなかっただけなんじゃないかと思う。

ディズニーの映画も、「ディズニーランド」も、そういうことなのかもしれない。「人を楽しませる」ということには明確なメソッドがあって、それは人間に負担がかからずに実現可能なんじゃないのだろうか。そういう精神って欧米の個人主義とか博愛とかがあるから実現できることなのかもしれないけど。

こうしてみると、日本人はいまだにアメリカに向かって竹槍を付きつづけているようだ。謎の根性論みたいなことを捨てて、作る人も見る人も楽しい作品ができて、世界の人も楽しませることができたらいい。いつかまた、クロサワとかオズみたいに、日本人が日本人のために作った映画が、世界の人にスゴイって言われるようになったら面白いなと思う。

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