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遅すぎること

たまたま恵比寿ガーデンプレイスにいて、ふと振り返ったら夕焼けがきれいだったので39階の展望台に登ってみた。まるで飛行機から見えるような景色が広がっている。雲が幾重にも層になって、山の輪郭を縁取り、空が真紅と黄金に輝いていた。めっちゃきれいだったので動画に撮った。

帰りのエレベーターに飛び乗ると、60代ぐらいの白人男性と日本人の小柄な女性が乗っていた。二人は友人のようにも長年連れ添った夫婦のようにも見える。二人は外の夕焼けに目をやり、しばらく見とれていた。ひとしきり夕焼けに感動したところで、女性はきれいな英語で「そうだ、わたしが◯◯(聞き取れず)を教えてあげるわよ」と男性に言った。だが男性はすこしつかれたように、「そうできたらいい。でも僕はそれをするにはあまりにも年を取り過ぎているし、あまりにも疲れすぎている。あのことにあまりにも時間を使いすぎているし。僕にはとてもできそうにない」と答えた。まるっきりウディ・アレンだ。都市に暮らすことやインテリであることを長年続けてきた人に見られる、金属疲労のようなあきらめが彼を包んでいる。その様子は英語よりもフランス語の「fatigue」という言葉がぴったりだった。

男性はそのあとも「できない理由」をもごもごと言っていたけれど、女性はそれに優しく「そんなことないわよ。もし覚えれば、あなた、なんとかちゃんに教えてあげることだってできるわよ」と励ましていた。彼女はそれがなんであろうと、なにかを始めるのに遅すぎるということはないのだと知っているのだ。

なにかを始めるのに遅すぎることなんかない。もしあなたが、年を取り過ぎて、疲れて、他のなにかに時間を取られすぎていないのであれば。

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