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愚痴は必要

で、(前回の続き)KITTEの5階でランチをした。「豚捨(ぶたすて)」というものすごい名前のお店である。ランチが最安1,300円〜ということでお正月でごったがえす東京駅でも空いていた。隣の780円のラーメン屋さんは大行列だ。ちょっと値段が変わるだけでお店の混みようがあからさまに変わる。

豚捨は伊勢神宮にある名店の支店。伊勢の和牛をつかったメニューが知られていて、コロッケや牛丼、すき焼きなどが名物だ。わたしはお正月なのでなんとなく縁起がよさそうなすきやきを、友人は牛皿やコロッケなど名物てんこ盛りの御膳を頼んだ。窓からは東京駅の駅舎が見える。えんじ色とクリーム色の駅舎はリニューアルしたばかりなのでとても綺麗だ。合わせて東北新幹線のホームも見えるので、すき焼きをつつきながら新幹線を見るなんて鉄道マニアにはたまらないスポットである。

ランチが来るまでの間お茶をすすっていると、友人は大きなため息をつくのだった。どうしたのと聞くと昔から悩んでいることがやっぱり解決しなくてつらいと言う。その友人は問題解決の鬼みたいな人なのでなかなかそういうことは珍しいのだが、自分の手が介入できないところにある問題は解決するのが難しい。

自分の心持ちを変えたり、誰かに助けを求めたり、そうやって自分が何かしら動くことができてちょっとでも何かを解決できる場合や、動いたあとの道筋がくっきりと見えていて、なおかつそれができる場合には、人は悩まない。希望があれば人は悩まず動くことができる。自分の手の届かないところに問題があって、コントロールの範囲外にあるとき、希望の光が見えないときに人は悩む。

「これは愚痴なんだけど」

と友人は必ず前置きをしてから悩み事を話す。無力なわたしには「そうかー」「それはつらいなー」とフンフン聞くことしかできないのだが、それでも何かの足しになっているのだろうか。

「そうやって自分のちからが及ばないことに対して愚痴を言うのは正当なことだと思うけど、愚痴って、自分のちからが及ぶことに対しても言うことがあるでしょ。会社を辞める気はないけどずっと文句を言ってるとか。あれはどういうこと?」

とわたしが聞くと、友人は

「愚痴は必要なんだよ。誰かに言うことで、問題が外在化して、自分のなかで整理することができる。もし誰にも言わなかったら、自分のなかで堂々巡りをし続けるしかない。だから愚痴は絶対に言ったほうがいいんだ。でも重要なのは、『これは愚痴なんだけど』とか『ちょっと聞いてよ』って最初に断ること。そうじゃないと聞く人が、生産性のない話に付き合う意味がわからなくて戸惑ってしまうから」

と言った。

「そうなんだ。今後、愚痴るときはそうやって区切ってから話すことにするよ」

とかなんとか、そんな話をしているうちに、テーブルにすきやきとコロッケがやってきた。

すきやきは小さな鉄鍋の中でふつふつと煮えていて、甘辛い出汁の香りが漂ってくる。卵を溶いてお肉を浸す。お肉は熱々で柔らかく、口に入れると肉汁が溢れてきた。すき焼きというのはなんか特別な感じがしていいメニューだと思う。友人はコロッケを半分くれた。

人間は孤独な生き物で、みんなひとりで生まれてひとりで死んでいく。でも誰かに会って、話をすることなんかで、ちょっとだけその孤独を忘れることができる気がする。外に出ると、お正月晴れのいい天気で、東京駅の上には雲ひとつない青空が広がっているのだった。





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