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得体の知れないもの

このまえICCのオープニングがあって、多摩美の久保田先生とお話した。「わかりやすいこと、親しみやすいことだけを目的にしている"インタラクティブ"なメディアアート作品」についての話になった。久保田先生は、そもそもアートには機能やわかりやすさは求められないものだ、それを目的にするとサービスやプロダクトになってしまうと話していた。

アートは「機能」や「わかりやすさ」を備える必要がない。その作品を作る人は、何かの問題を提起するために、あなたの前に「何に使えるのかもわからない、何の役に立つのかもわからない、全く意味不明のもの」を置く。人はわかってしまったものについては思考しない。わかりやすい言葉で諭すのではなく、意味がわからない言葉を置くことで、何かについて、鑑賞者が思考をすることを促す働きがある。その作品を構成するもの自体がストーリーを持たず、荒唐無稽な組み合わせであるほど、その繋がりを探し、見つけた時に深く心が揺り動かされる。こうした自由度があるからこそ、アート作品というのはほかのものでは成し得ないほど大きく人の心を揺さぶることができるのである。

5月に京都のPARASOPHIAで見た、高嶺格さんの「地球の凹凸」を見てまさにそれを感じた。地下の室内に、くしゃくしゃにした白い紙を敷きつめている。その紙は、どうやら地表と山脈を表しているようである。飛行機の上から眺める景色のようだ。その地表の上には、モーターで回るライトが3つ、ペンダントライトのようなかたちでぶら下がっている。そのライトはモーターでぶんぶんと円を描いている。とてもマイペースに。室内では音が鳴っている。重低音と、規則正しく差し込まれる、スイッチを切り替えるような「バチッ」という音、そしてストロボライト。その規則性はまるで永遠に繰り返される世界に、人間が設定した「時間」を刻みこんでいるようだった。真っ暗な室内、ぐるぐる回るペンダントライト、そしてストロボライト。それがただ9分間繰り返され、最後に夜明けがやってきて、音楽が流れて大団円を迎える。こんな

このまったく意味がわからない装置はものすごく人の心を揺さぶる力を持っていた。以前、夜に飛行機に乗った時、眼下に見える川や水たまりに満月が映り込み、まるで月が飛行機を追いかけているように見えてすごくいじらしく可愛らしかった。そういうことや、月明かりの夜に見える山の峰を思い出したりして、ものすごく感情が揺さぶられた。最後の音楽がすごくローファイ...というか全然緊張感がないものなのもよかった。音楽にはそのクオリティでなく音楽というだけで力があるものなのだと思った。そういうことは、自分が放り出されたから考えてじんわり感動できるものだった。

「なんの機能もないけど、人の心を揺さぶるものを作ってください」と言われたときに、それを作れる人がどれだけいるだろうか。それこそがアーティストの「能力」だと思っている。

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