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寸、大原大次郎「ハロー風景 in dessin」

中目黒の古書店DESSINで行われた展覧会「ハロー風景」を見た。詩人、寸の俳句と大原大次郎のデザインによる句集「ハロー風景」の世界を、モビールと絵画により空間に再構成したもの。

句集「ハロー風景」は「うるおい」がテーマ。お風呂など、うるおいのある風景をテーマにした寸さんの俳句とその解説、大原さんの絵で構成されている。絵だけでなく、句集自体のデザインも大原さんによるものだ。

寸さんの俳句は、身近な「うるおい」のある風景を、いろんな角度からとらえたもの。俳句の舞台は、東京と京都を行き来する寸さんの身の回りのこと。それに合わせて、俳句が書かれた背景の解説が、等身大の、リズミカルで独特な言語感覚で書かれている。

寸さんが選び抜いた、みずみずしい言葉で書かれた俳句は、文字面だけでキラキラしている。

初音湯や天使走りて風光る

なんて。初音湯は京都にある、よい銭湯なんだそう。そもそも、お風呂とは良いものだ。かつて「お風呂に入ったことを後悔したことがない」と言っていた人がいた。全くその通りで、「お風呂に入ろうかどうしようかな..」と迷うことはあれど、入れば気持ちがいいので、入ったあとに「入らなきゃよかった」と思うことはない。

寸さんはかつて「モンスーン」という、リラックス世代のサブカル人間から高いリスペクトを受けるカルチャー雑誌を作っていた方。わたしも仙台の片隅で、「うわー面白い」と思って読んでいたのでいまこうして活動を追えることが感慨深い。いま、寸さんははてな社ではてなID: chillpoyoという名を持ち、編集をされている。

サブカルとは苦しいものだ。ふつう、サブカルと気持ちよさというものは両立しない。だが寸さんの俳句と解説のことばはサブカルチャーの香りがしつつも気持ち良いことで出来ている。この境地にたどり着くのは難しい。頭で考える面白いことと、身体で感じる気持ちよいこと。このバランスを取るために、新幹線のなかで、銭湯のなかで長考がなされたに違いない。そうして、サブカルから独特の距離をおいて、自分の価値観を確立した寸さんのすんなりした気持ちから出来ているから、ここにある句は面白く、かつ気持ちが良い。



そのすんなりした句を、可読性と意味に気を使いながらデザインしつつ、絵をつけたのが寸さんと旧知の友人の大原さんだ。大原さんも実は昔サブカル雑誌を作るコンテンツ側の人だった。その名は「少年くそマガジン」。中学校3年生の時に友人たちと書いたフリーペーパーである。5人で作って5部しか刷らないというマスコミの常識を打ち破るアートな展開がクラスメイトやクラスメイトの母親のあいだで話題を呼んだ。書かれているのは「エイフェックス・ツインのアルバムを聞きました。かっこよかったです」的な、自らのカルチャーへの偏愛。サブカルのテキストにおける中身とデザインの試行錯誤を、完全に初期衝動で中学三年〜高校3年まで続けていた。

そうして二人が行き着いた、サブカルチャーとは何だったのか、その自問を経て突き抜けたところにこの句集はあるように見える。

ここにある絵は、いわゆる「挿し絵」ではない。「句を読む人のイメージを固定してはいけない」のだそうだ。句の解説は言葉で書いてある。ここにある絵は、文字と絵の関係を注意深く探ったもの。これらの絵はすべて、濃い青と薄い青、そして余白の白で出来ている。俳句とは極限まで削ぎ落とした言葉で広がりのある風景を見せる。同じく、大原さんの絵はまるで俳句を絵で書いたようで、抑制した線で広がりのある風景を生み出している。青と白、という組み合わせは銭湯の清潔なタイルを思わせるし、有機的なラインは立ち上る湯気のようでもあり、湯上がりのように官能的で清潔感に満ちている。

これはそんな組み合わせのひとつ。

水温む車窓に白い給水塔

という句に合わされた、直線といくつかのにじみ。もうこれだけで、東海道新幹線の車窓の景色が眼前に広がるようだ。東海道新幹線の、台風になると氾濫する広い富士川のあたりとか、浜松湖のあたりとか、そんな風景を思い出す。

この文章と、絵の組み合わせは、間違いなくこの二人でなければできなかったもの。展覧会で、ポスターで見れたのは良かったけど、本でもその良さは遺憾なく発揮されているのでぜひお買い求めを。ちなみに本には、京都市左京区の銭湯、銀水湯の入り方を記述した、村田智さんによるダイアグラムのポスター付き。ご購入はこちら

ハロー風景 in dessin 大原大次郎
会場:デッサン | dessin
会期:2014年9月7日[日]→ 9月21日[日]
時間:12:00-20:00
入場:無料

※2014/9/26 ご本人にツイートされた記念に書きなおしました

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