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愛は科学か迷信か 「インターステラー」

映画「インターステラー」を見て、そのテーマが愛であることに大変感銘を受けた。

クリストファー・ノーランは個人的に大好きな映画監督。特に「インセプション」は人生ベスト10映画のひとつ。なので今回も、ものすご〜〜く楽しみにしていたのですが、そんな激高いハードルをやすやすと超える、素晴らしい作品でありました。

わたしは全然SF詳しくないので適当な知識を言いますが、「インターステラー」は「ハードSF」というジャンルの映画らしい。ハードSFは、出てくるモチーフが科学的知見に裏打ちされているもの。「次元ワープ」なんてまるで夢物語のようだけど、いちおう相対性理論とか物理とか、理論として破綻しないような裏付けをしながら作っている。この作品にはプロデューサーの一人には理論物理学者のキップ・ソーン氏が入っていて、googleと組んだ特設サイトまであるほど。

そしてクリストファー・ノーランはとことん「本物」にこだわる男。「ゲームっぽいからイヤ」なのでCGも極力使わない。「ダークナイト」では病院を爆破する場面で本当に病院を一棟爆破させたり、「インセプション」の列車が街を暴走する場面では車輪を付けた列車を街に走らせた。

それほどまでにリアルにこだわる男が、「インターステラー」では「非科学的なもの」の代表的存在である「愛」についてはてらいもなく謳いあげる。アン・ハサウェイ演じる生物学者で宇宙飛行士のアメリア・ブランドが語るセリフがそれだ。宇宙を旅する乗組員たちは、2つの行き先からどちらかを選ぶことを迫られる。その時にアメリアは、自分の恋人がいる星に行きたいと言う。他の乗組員から、その判断は「私情」を挟んでいるのではないかと言われてこう返した。

「愛は人間が発明したものじゃない。それは観察可能なもの。パワフルなもの。何か意味があるもの。わたしたちがまだ理解できないものをも意味するもの。愛は、わたしたちがまだ意識下では感知できない、高次元の存在が存在する証拠かもしれない。愛だけが、次元と時間と空間を超える手助けをしてくれる。もし理解できないとしても、わたしたちは愛を信頼しなくてはならない」(引用

アメリアは、何かの判断の基準に「愛」を持ってくることが非科学的なものではないと言っている。これまで愛は非科学的なものと言われて、ずっと軽くあしらわれてきた。目に見えないし、定量化できない。それが現れるのは関係性においてだけだからだ。しかし人間が行動をするモチベーションは愛にしかない。この作品においても、主人公が宇宙の旅に出たのは、自分の10歳の娘と息子が住む地球が飢餓に苦しむ場所になるのを変えるためだった。60億人の「人類」のためではなく、たった二人のための「愛」だけが生身の人間を突き動かした。

この発言をするアメリアも女性だし、この作品において重要な人物である主人公の娘も女性だ。女性は「感情的」で「非科学的」とか言われてきたけれど、ノーランは重要なパートを女性にしているところが彼のメッセージのひとつであるのだろうなと思った。ノーランさんは家族とものすごく仲が良くて、奥さんはこの作品のプロデューサーでいっつも一緒にいるうえに、奥さんがいない時には家族の話ばっかりしているくらいなんだそうです。っていう視点で見てみてもこの映画は面白いんじゃないかなと思いました。

IMAXで見たのでフィルムバージョンも見たいな〜。




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