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愛するものから許しを求めるのに遅すぎることはない

この前、東京ゲームショウというイベントの取材に行って、そこでドイツのインディゲーム開発チームが言っていた言葉が印象的だった。彼らが開発したゲーム『OLD MANS JOURNEY』は、とても美しいグラフィック。老人の人生をなぞっていくというゲームだ。老人はわりと悪いことばっかりしてきたらしく、その過去を懺悔しているらしい。開発チームが言っていたのはこの言葉。

「愛するものから許しを求めるのに遅すぎることはない。なぜなら愛は永遠だからです」

この言葉はずっと心に残っていて、ことあるごとに思い出しては手のひらの上で転がすように考えている。

生きていると、必ず後悔するようなことをやらかしてしまう。愛する人は誰よりも大事にしなければならないのに、好きだからこそ一番過剰反応してしまう。他の人に言われてもなんとも思わないことを、その人に言われると必要以上に重く捉えてしまう。相手の都合を考えずに、自分の要求ばかり主張してしまう。普通の友人には絶対に言わないようなひどい言葉を、感情的になって投げつける。家族にもクライアント様にもコンビニの店員さんにも絶対に言わないようなひどいことを、愛する人に向かって投げつける。

これは不思議なことだ。ほんのささいな行き違いから頭に血が登って、最も愛する人に、最も言ってはいけないことを言ってしまう。一番失いたくないと思うものなのに、子どもがぬいぐるみを壁に投げつけるように、2人の関係性を投げ捨てるような真似をする。愛する人がどう思うかなんて考えない。自分の要求をただ押し付けることしかもう考えていない。

昔の自分を省みると、人間的に未熟だったんだなあと思う。灯台でかつての思い出を思い返す老人もきっとこんな気持なんだろう。しかし正気に戻った時にはもう遅い。一度発した言葉はもう戻らない。関係性が壊れるようなことをすれば関係性は壊れるのであって、実際そうなってから嘆いても何も変わらない。

だいたい喧嘩をする前に気がついて欲しいのだが、その人を好きだと思っているからいろんな要求が出るのであって、興味がない人には何も要求しない。その人の時間が欲しいと思うくらい好きな人がいるというだけで幸せなことなのだ。この世にはこんなにたくさんの人類がいるのに、そんなに好きな人ができるなんて、素敵なことだと思いませんか。だから無理難題を要求するのは本末転倒というものなんである。しかし実際に関係性というものが走り始めると、あまりにデリケートなことであるがために、ほんとうにちいさなきっかけで大きな喧嘩をしてしまったりする。

そうやって失ったかけがえのない関係性というものを、この言葉を聞いてからずっと考えていた。

「愛するものから許しを求めるのに遅すぎることはない。なぜなら愛は永遠だからです」

実は愛というものは、失うということがないのかもしれない。たまに見えなくなるだけで、いつでもわたしの側にあるものなのかもしれない。

もし、実際に許しを請うとしたら、愛する人はわたしを拒絶するかもしれない。でもいいのだ。愛はいつでもそこにあり、わたしはいつだって、その人を愛していた自分に立ち戻ることができる。わたしが愛した素晴らしい人はいつだってわたしを許してくれると思うことがわたしを救ってくれる。だから失ったと嘆く必要はなくて、暖かい毛布にくるまれているように安心しておけばいいのかもしれない。


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