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きみはどこまできみなのか

このまえ夜に友人とLINEで話していたら、夜がふけてその友人が眠いと落ちた。そのとき友人は酔っ払っていたらしく、翌朝、「読み返したら途中から全然覚えてない」と言っていた。その時わたしはなんだかちょっと傷ついたような気分になった。「わたしが話していたのは誰なの!?」と思ったし、「どの時点まで意識があったのか」を教えてほしいと思った。

というのはありふれた話のようだが、大変不思議な話で、その人が酔っ払っていようがいまいがその人はその人なので、意識があるのか、ないのか、確認したくなるのはおかしなことだ。

「いつまで意識があったのか」と確認したくなったわたしはそのとき、「自意識があった時点まではその人で、意識がなくなった時点からその人じゃない」と判断しようとしていた。

自意識がある時点をその人とみなすのか、それを手放したらその人ではないとみなすのか。酔っ払っているから人格がないとみなすのか?アルコールが入ったその人はその人じゃないのか?じゃあ、起きたてで寝ぼけているときは?意識があるけどほかのことを考えていて、うわの空で話しているときは?

こういうことを考えると、将来技術が発達して誰かのクローンを作れるとなったときに、「その人はどこまでその人なのか」という線引がどうなるのか、ということが心配になってくる。

クローンはあの人のような見た目をしていてあの人の記憶を持ち、あの人のように話し、あの人のように考える。それでもそのクローンはあの人ではないのだ。我々はその人がその人であって欲しいとだけ願い、いまここにただ存在する点を手のひらに載せて転がすように、その人の存在を慈しむ。

だからまったく完璧に動くクローンがいたとして、それでもこのクローンは「あの人」ではないので、接する人はものすごく悲しい気持ちになるだろう。同じことを言われたとしても、すごく不気味だと感じて疎むだろう。

哀れなクローンよ。クローンに落ち度はない。しかしただ一点、この人はなにもかもが「あの人」と全く同じだけど、それでも「あの人」ではない。たったそれだけのことが人間を縛る。その人を求めることが、この世にひとつしかない、固有の魂みたいなものを欲しがることなのだとしたら、たしかにそれはずいぶんとおおごとだ。だがみんな息をするように、固有の魂を欲しがっている。誰の目にも見えない、この世にただひとつしかないものを。

人をユニークたらしめるのは何なんだろう。人間の境界線はどこにあるのだろう。その境界線に分断され、誰もが苦しんでいる。でもその境界線を見つけて、もしも越えることができるなら、このひとりぼっちの荒野から、きっと抜け出すことができるのだと思っている。


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