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くだん

先日ある友人Sと飲んだ。その友人はあまりにも頭が良すぎるために世界を見る解像度が高すぎで、実際に肉体に激痛が走るというしわ寄せが来てるみたいで、現実世界ではいろいろ大変なんじゃないのかという人である。半年前に「お前はなんだかわからないがずっと心を閉ざしている。殻を破れ!」と注意されたぶりだ。

今回も半年ぶりに会って、S氏はSNSを全然やってないから私の近況など何も知らないのにも関わらず「お前は考えすぎて動けなくなっているだけだ」と、「うーんその通りですね」ということを言われた。

そんな感じで、飲み会とかに行くと、その場にいない人のことで盛り上がることがある。みんなが漠然と感じている、「あの人はもっとこういうことをやっていくべきだ」とか、「あの人の仕事は全然あれなのにあんなにのしあがっているのは、所属している組織の、ほかの人がすごいだけなのでは」みたいなこと。それはみんな自分の仕事を愛していて、もっとより良いとこにしていきたいよねって話なんだけど、「その人」に向かって「きみそれなんでやってんの」って聞くことはあまりない。

だがS氏は、その人のところに行ってそれを言う。どうして君はそれをやっているのか、それをやって良い結果が出ないのは本心ではないのに。君にはもっとやるべきことがあるんじゃないのか?そんなことを聞くと本当にスゴイなと思う。やれって言われても絶対できない。

そのいっぽうで、自分はというと、あたかも「わたし正直に、本音で!!生きてますんで!!!お天道様に顔向けできないことなんか、ひとつもしてませんので!!!」みたいな顔をして生きているんじゃないかと思う。もちろん、全然そうじゃない。弱くって、いろいろなことを誤魔化して、甘えて、面倒くさいことはなるべくやらないように、ずるい道を探して言い訳しながら生きているにも関わらず。「まあこんな程度で大丈夫だよね」という程度を、自分で、勝手に設けて、あくまでその範囲内で「正直」に生きている程度だ。でも多分、みんなそうなんじゃない?って、ずっと、自分を正当化し続けている。私は善人ですよって顔をするのは、気持ちいいからね。

だがS氏はその根本のとこを「いや違うでしょう」と言う。

まあ、違います。違うけど。そんなこと言われても、安全圏から出たくないし。

そしてそう答えなくてはならない自分に、チリチリと胸が傷む。

そんなことがあったすぐあとに、マンガ好きの塚原さんが、津原泰水原作による近藤ようこ「五色の舟」を貸してくれた。そのマンガに、「くだん」という妖怪が出てきた。

くだんとは「件」、人に牛と書く。人の顔で牛の身体をしていて、不吉な未来を予言する存在と疎まれている。そのマンガの中で、くだんが疎まれるのは、「本当のことしか言わない」からだと言っていた。そう、この世界で、「本当のことしか言わない」のは狂人と妖怪だけなのだ。

この世界はいろいろな人がからみ合っていて、思惑とか、事実とか、そういうものが渾然一体になっている。「真実」というのはどこかにあるわけではなくて、各々見ているものが「真実」であったりする。だから「本当のことしか言わない」というのは存在しないパラレルワールドの話なんだけど、もしも「本当のことしか言わない」存在が本当にあったら、それはだいぶ生きづらいだろうなあと思う。

自分でははかりしれない、他者の心境を慮っていくのが関係性で、社会というものなのかもしれない。ほんとうの世界というのは、解像度の高さだけでは計り知れないもので、それが「優しさ」というものなのかもしれない。そしてその優しい世界に対峙するためには、強さを手にいれなければならないのだ。

まあ何が言いたいかというと、人と喧嘩して相手の気持ちを考えないで発言したことを反省したということでした。悟りの道は遠い



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