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ゴーン・ガールの感想(ネタバレ)

フィンチャー作「ゴーン・ガール」を見た。すごく印象に残ったのは、「いちど失われた愛が鮮やかに息を吹き返すことが果たして可能なのか」ということだった。

ロッセリーニに「イタリア旅行」という映画がある。その映画のなかでは、倦怠期のイギリス人夫婦がイタリアに旅行をする。彼らは離婚寸前で、離婚の話をしながら旅行しているものだから、旅行といえど全然楽しくない。寒々しい空気が二人のあいだに流れているまま、淡々とイタリアの町を旅行していく。しかし終盤、いよいよ離婚成立も間近というところで、たまたま立ち寄った町で、たくさんの人が行き交うパレードに巻き込まれた二人は、道の両側に引き離される。するとふたりは突如、人混みをかき分け、互いの名前を呼び合い、抱擁する。パレードがきっかけとなったのか、それまでの殺伐とした旅行から一転、二人の間に、奇跡のように愛が蘇るのでした。このシーンは映画史に残る名シーンと言われております。

「ゴーン・ガール」の二人も、夫婦仲が完全に冷えきっている。出会った頃はウィットに富んだ会話をして、お互いを尊敬して、スタイルを尊重しあっていた二人だが、長いあいだ一緒にいて、お互いを取り巻く状況が変わってくるうちに、ギスギスした空気になってくる。仕事をクビになったり、親に借金が出来てお金を出さなくちゃいけなくなったり、故郷に住む親がガンになって都会を出ることになったり。状況が変わり、自分に都合の悪い状況になるたびに、彼らは相手を攻めたて、相手をコントロールすることでやりすごそうとした。

そんな関係性が続くわけもなく、二人の関係は破綻した。夫は若い愛人を作り、妻はそのことと、「自分の人生が失われた」復讐に、夫を殺人犯に仕立て上げ、死刑囚にするという計画を実行するまでに至った。

だが、映画「イタリア旅行」におけるパレードが、この映画にも現れる。それは、夫が行方不明の妻に向かって、テレビを通して語りかけた言葉だった。彼は出会った頃、二人の関係がまだ輝きに満ちていた頃のことから語りだす。

「僕は君に出会って心臓を貫かれるような想いだった。僕は普通の人だったけど、君に愛してもらえるような男になろうと思って一生懸命背伸びをした。君は僕が知っている人間の中で一番素晴らしい人だ。でも僕は君を幸せにする努力を怠い、君を失った。これから僕は、かつて僕が君に約束したような人間になってみせる。お願いだから戻ってきてほしい」

彼にとってこの言葉は、殺人鬼という疑惑を晴らすためのパフォーマンスにすぎない。しかし、すごくサイコで、頭が良い妻は、この言葉を聞いて、彼への愛を完全に取り戻す。それからの猪突猛進ぶりは、完全に恋愛アドレナリンが出ている女性のそれである。恋愛アドレナリンが出ている女というのはまるでスーパーヒーローのように不可能を可能にするのだ。その変異がものすごく面白かった。

でもまあ、これほどまでに丹念な仕掛けを張巡させるくらいだから、妻はもともと夫のことをずっと愛していたんだろう。女の人が怒るのは、相手に思い入れがあるからだ。思い入れがなくなって、興味を失ってしまうと、1秒たりとも関わるのが嫌になって、離れてしまうものだから。

作品自体はドンデン返しの連続で全く飽きさせないジェットコースターで、「ブルー・バレンタイン」をフィンチャーが撮るとこうなるのか、というような感じでずっとエキサイトしてみてました。トレント・レズナーとアッティカ・ロスによる不穏な音楽も素晴らしく(いろいろ位相をいじってるので映画館で見るのが一番いいそうだ)、映像も美しく、めちゃくちゃ面白かったです。言うまでもなくオススメ!!


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