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私は女だから、別府で温泉に入れなかった

別府に行った。アニッシュ・カプーアという現代美術作家の作品を見るためだ。結構じっくり見たあと、空港へのバスまで時間があるので街をうろついた。別府といえば温泉。なんと源泉数・湧出量ともに日本一だという。まちなかには手軽に入れる銭湯形式の温泉がたくさんあって、料金も100円からとお手頃。手ぶらで入浴できるので、旅行者もたくさん利用する。

わたしは別府の中でも昭和13年に作られたクラシックで歴史を感じさせる銭湯の一つにお邪魔した。入湯料はなんと100円!そのうえ、砂蒸しもあるらしい。のれんをくぐり、受付に行くと、マダムがにこやかに「温泉ですか?100円です」と言ってくれて、わたしは100円を渡そうとした。そして「砂湯も入れますか?」と聞くと、マダムが「あなた生理じゃないですよね?生理の人は、始まりかけとか、終わりかけでもだめなの」と言う。わたしはその日生理だった。でもタンポンを入れれば大丈夫かな?と思い、銭湯に行ってしまったのだった。マダムに「生理なんです。そしたら、浴場もだめですかね?」と聞くと、「ごめんなさいね。公衆浴場だから。他の方が見るとどう思うか。」とおっしゃった。なので、「じゃあ、やめておいたほうがいいですね」と言って私は銭湯を後にした。

銭湯を出てトボトボ歩くうちに、つらい思いが襲ってきた。せっかく別府に来たのに、温泉に入れなかった。プールなどではタンポンをすれば入れるし(水の中では水圧で経血が出ないそうだ)、「いつも銭湯を利用している人が生理の期間中は銭湯に入れないんだったら生活が成り立たないだろう」と考えてわたしは銭湯にチャレンジしたのだったが、なんだかわたしはとんでもない思い違いをしていたようだった。

生理はこっちから頼んで来てもらってるわけじゃない。それでも毎月やってくる。生殖機能からすると、ものすごく必要なものだし、来てくれるだけでもありがたいのだが、まあ毎月、あんまり愉快な気分にはなるとは言い難い。先人様たちの努力によって生理用品はとても快適なものになったが、月に1回、1週間、股から出るおびただしい血を、棒状にしたコットンやパッドで「他の誰にもわからないように」処理しなくてはならないのは気が重い。毎月だ。おまけに気分も沈むしお腹も痛い。

そして、温泉に入れなかった。生理だという理由で。わたしはなんだか負けた気分になった。わたしは女だから銭湯に入れなかった。江戸時代には生理中の女性を「月経小屋」に隔離する地域もあったという。それを思い出した。頼んでもないのにやってくるものによって、穢れていると言われる。それがすごく悲しかった。

ところで、ニューヨークに行った時にニュー・ミュージアムでイギリスの女性アーティスト、サラ・ルーカスの個展を見た。サラ・ルーカスは80年代から活躍するアーティストで、ダミアン・ハースト、ギャリー・ヒュームらとともにYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と呼ばれるアーティストの一人。マールボロで作られたキリストや車、野菜で作られた女性器と男性器、目玉焼きを乳房に見立てたポートレイトなど、身近な素材を使って、ジェンダーやセクシュアリティ、アイデンティティについて問いかける作品を作っている。

彼女はわたしのお気に入りのアーティストだ。彼女の作品を見ていると、「ああ、女ってこんなもんなんだよな」って思う。すごく開放された気分になる。女はこれ以上でもこれ以下でもない。胸に2つ付いている脂肪の塊を紐と布で押さえつけて、月に一回股から血を出している。

女は朝になれば化粧をして、口紅を塗ってハイヒールを履く。生きているだけで美人だブスだとジャッジされて、早く嫁に行かないのかと責められ、体重が多すぎる少なすぎると揶揄されて、流行の服を着ていないと貶められ、男性より低い賃金で働き、スイスでは71年まで参政権がなかった。

サラ・ルーカスの作品を見ていると、そういうことから開放された気分になる。彼女はメロン2つとバケツ一つで女を表現する。そんなものだと思う。女は女だ。それ以上でもそれ以下でもない。

温泉に入れなかったのは悲しいことだ。でもそれは「衛生的」な理由で、仕方のないことなのだ。わたしは女で、だから温泉に入れなかった。いつかサラ・ルーカスに会えることがあったら、わたしは「女だったから、温泉に入れなかった」と一番に伝えたいと思う。

写真:別府の湯けむり © 別府市 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/


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